>HOME 原稿 駅ホームの安全性を問う
2001/02/03 関西SLメーリングリスト他 投稿 青木慎太朗 1月26日の新大久保駅の事故以来、駅ホームの安全性を問う声が急に高まっています。私が加入している他のMLにおいても、ホーム転落事故が話題になっています。 そこに興味深いものがありましたので、まずはそれからご紹介します。 ◎ここから ◆- - - - - 【1994年−2000年までに起きた視覚障害者の ホーム転落による重大鉄道事故】 ・1994.12.25 ― 近鉄湯の山線「中川原」駅 全盲 女(51)…ホームに転落 電車にひかれて死亡 ・1995.6.24 ― 大阪市営地下鉄「天王寺」駅 視障者 男(64)…ホームに転落 電車にひかれて死亡 ・1995.10.21 ―大阪市営地下鉄「天王寺」駅 全盲 男(25)…ホームに転落 電車に引きずられて重症 ・1995.11.8 ― JR東海道線「小田原」駅 全盲 男(47)…ホームに転落 電車にひかれて死亡 ・1995.12 ― JR青海線「東中神」駅 視障者 男(34)…ホームに転落 電車にひかれて死亡 ・1996.2.10 ― JR東海道線「篠原」駅 視障者 男(42)…ホームに転落 電車にひかれて死亡 ・1996.7.18 ― 阪急宝塚線「蛍池」駅 視障者 女(61)…ホームに転落 電車にひかれて死亡 ・1997.3 ― JR山手線池袋駅 視障者 男(43)…ホームから転落して 重症 ・1997.8.14 ― 相鉄本線「二俣川」駅 視障者 女(51)…ホームに転落 電車にひかれて死亡 ・1998.2.7 ― JR京浜東北線「日暮里」駅 視障者 男(53)…ホーム通過中の 電車にはねられて死亡 ・1998.9 ― 名古屋市営地下鉄「栄」駅 視障者 男(73)…ホームに転落 電車にひかれて死亡 ・1999.5.14 ― JR中央線「荻窪」駅 全盲 女(48)…ホームから転落して 重症 ・1999.5.15 ― JR大阪環状線「天満」駅 全盲 男(28)…ホームから転落して 重症 ・1999.8.7 ― 名古屋鉄道「加納」駅 視障者 男(66)…ホームに転落 電車にひかれて死亡 ・1999.11.15― JR山手線「目黒」駅 視障者 男(?)…ホームに転落 電車にひかれて死亡 ・2000.3.24 ― 南海本線「岸和田」駅 視障者 女(48)…列車連結部に転落 重症(足切断) - - - - -◆ 1994年−2000年までに起きたホーム転落による ・死亡…11件 ・重症…5件 - - - - -◆ ◎ここまで 細かいことですが、「ホームに転落」ではなくて、「ホームから転落」ですよね。それはよいとして、視覚障害者だけを見ても、11人の人が亡くなり、5人の方が重傷を負われています。こう考えてみると、駅ホームの安全性に何らかの問題があることは確かです。 駅ホーム転落事故を防ぐための手段として、理想的なのはホームドア設置です。しかしコスト面を考えた場合、これは必ずしも適切な策であるとは考えがたいものがあるでしょう。視覚障害者はともかく、晴眼の人にこの必要性を訴えることは至難の業です。 とくに、安全対策が高度になればなるほど、そのコストが運賃に上乗せされるということを懸念する低所得者や学生の声があることも確かです。 設備面の投資において、駅ホームの安全対策をいかにすべきか、ということは、実に難しいものがあると思います。私自身、いろいろと考えてはみるものの、これといった解決策は見つからないのが現実です。 さて、先日の新大久保駅の事故を取り上げて考えてみましょう。酒に酔った人が転落してから電車の到着までは実にわずかな時間でした。ホームに駅員がいたら、乗客が非常ボタンのことを知っていたら、等とマスコミは報じていますが、仮に駅員がいても、乗客が非常ボタンのことを知っていたとしても、事故を防ぐことはできなかったと私は考えています。 ただ、駅員が偶然にも現場のすぐ近くにいたならば、一人目が転落した時点で、助けようとする人に向かって、「危ないから降りないで」と指示できたのではないでしょうか。また、転落感知マットがあったならば、一刻も早く転落事故のことが運転手に伝わったはず。 今回の件でいうならば、JR東日本の落ち度は、「ホームに駅員を配置していなかった」ことと「転落感知マットを取り付けていなかった」ことであると思われます。 ここからは私の推測になりますが、JR新大久保駅の駅員はどういう仕事をしているのでしょう。ちょっと身近な話で考えてみることにしましょう。 近畿地区の鉄道会社の取り組みの比較。とくに両極端の近鉄と阪急を取り上げます。 近鉄は設備投資にかなり遅れている(バリアフリー対策など)が、その点駅員の数は多い。実際問題、会社側が「当社では設備面での対応が遅れておりますので、その代わりに人的対応をします」とコメントしています。 一方阪急は、伊丹駅に代表されるように、バリアフリー対策などに設備投資し、その結果大規模な人員削減を行った会社。改札の機械化などでも、近鉄に比べてはるかに進んでいます。 近鉄の駅ホームでは、駅員の姿をよく見かけますが、阪急のホームではあまり見ません。せいぜい制服を着ているのは運転手と車掌くらい。改札にもほとんど駅員がおらず、駅事務室まで行けば数人いる程度。 では、JRはどうか? 設備投資も十分とは言えず、かといって人的対応は全くダメ。Jスルーカードの売り場に2人いるのに、ホームに誰もいない、といった状況(阪急も似たところがあります)。 ホームドアの話をしたときに、「そんなことされたら、運賃倍額とかになって、逆に困りますよ」と言っていた学生も、「カード売ってる駅員をホームにまわすのは当然だ」と言います。だいたい、JスルーカードにしてもスルッとKANSAIにしても、駅員二人で販売しているところから30秒ほど歩いていけば、駅売店があってそこでも売られていたり、あるいは自動券売機に行けば確実に売っている。視覚障害者にとってみれば、いつも何もない場所に、机組み立ててカードを売っているわけだから、歩行の邪魔になる。そんなところで金を使って、ホーム安全性を確保するというところには「駅員の数が足りない」などと言って無人状態。これはどう考えても矛盾した話でしょう。 カード売るくらいなら、バイトを雇ってやればよい。どうも労働という資源の使い方が間違っているように思われてなりません。 私は詳しくは知らないのですが、ヨーロッパでは運輸と営業は別会社になっているそうです。日本の場合は一緒にやっています。それどころか、安全第一の運輸に所属する駅員が、カードを売るという営業活動をやっているのです。 私が主張したいのは、まず今のままの体質を問い直す必要があるのではないのか、ということです。新大久保の事故で、JRの責任云々といって争うのもよろしいですが、事故が起こっているという事実、したがって何らかの策を講じない限りは今のまま変わらないのだということを、鉄道会社側も考えておくべきでしょう。 「責任はない」のかも知れないけれど、それはあくまでも過去のこと。再発防止に向けた努力をする義務はあるはずです。 [青木 慎太朗 2001/02/03] UP:20050223 ◇原稿 |