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英国年金改革の動向

2003/**/** 青木慎太朗(同志社大学 総合政策科学研究科)


■はじめに
 イギリスの年金改革を考える上で重要となってくるのは、政権との関係である。第二次大戦後、社会民主主義を主眼とする労働党が政権を獲得すると、いわゆる「大きな政府」の政治理念のもと、政府は公的社会保障を充実させていった。しかし、サッチャー保守政権に交代するや、「小さな政府」の理念のもとで、社会福祉分野においても政府は最小限の関わりに終始し、できる限り市場ベースで問題に取り組もうとしてきた。
 1997年、ブレア労働党政権が誕生し、社会保障分野にも新たな風を起こした。これは従来の労働党が称える社会民主主義でも、保守党の称える市場主義でもなく、「第三の道」と呼ばれている。
 こうした政権交代、即ち社会保障に対する方針の変化は、年金改革にも多大な影響を与えた。具体的にどのような影響を与えたのかを以下で概観してみたい。


■1. 旧労働党政権時代の公的年金
 まず、現在のブレア労働党政権との差異を明らかにするため、現在の政権を「新労働党」(=New Labour)と呼ぶのに対し、戦後〜サッチャー保守政権誕生までの労働党政権のことを「旧労働党」(=Old Labour)と呼ぶことが多い。
 旧労働党の政治理念は、「『階級なき社会』を目標として、政府は市場への積極的介入を行った(大きな政府)。安定的な雇用に重点が置かれ、不況時には国家が積極的な財政出動を行なって需要を創出するという、いわゆるケインズ政策がとられた。また、政府は、所得に高率の税金を課し、それを財源にして「揺りかごから墓場まで」といわれるような手厚い福祉政策を行なった(高福祉・高負担)。」(1)
 旧労働党政権下に創設された公的年金は、「基礎年金」と「報酬比例年金」(=SERPS:State Earnings Related Pension Scheme)から成り立っている。前者は基礎年金部分に、後者は厚生年金部分に該当すると考えられ、この点で我が国の年金制度と類似の、二階建て構造を取っている。このうち、基礎年金は自営業者・被用者ともに加入が義務づけられており、報酬比例年金には被用者の加入が義務づけられている。この点でも日本の年金と同様である。


■2. 保守党政権時代の年金改革
 1979年、サッチャー保守党政権が誕生した。旧労働党政権の「高福祉・高負担」政策は、国家が市場に介入しすぎた弊害として、経済成長の鈍化、インフレの慢性化、国際競争力の低下、国際収支の悪化などを招き、経済のグローバル化が始まっていた当時、その政策は行き詰まりを見せていた。(2)
 保守党政権はこうした「イギリス病」などと言われた状況を克服すべく、「政府の役割をできる限り小さくして、市場原理を活用することが必要と考えた(小さな政府)。そして、所得税減税、財政均衡、規制緩和、国有企業の民営化など、供給サイドを刺激することで経済を活性化させようと、いわゆるサプライサイド・エコノミックスがとられた。一方国家の福祉政策は、最低限度の『セイフティ・ネット』を提供すれば十分だとして、福祉支出の抑制が進められた(低福祉・低負担)。」(3)
 公的年金に関しても改革が行われた。公的年金制度創設時にすでに企業年金制度が普及しており、一定の条件を満たす企業年金に加入していれば、報酬比例年金への加入を免除する、いわゆる適用除外の制度は存在していたが、サッチャー政権下での年金改革では、この適用除外制度を個人年金にも広げ、報酬比例年金から個人年金に映った人に対しては保険料を補助するという措置をとったために、被用者の約6割が適用除外の対象となった。(4)
 保守党政権は市場原理のもと国家の関与を最小限にしようという政策を採り、年金政策においても、国家が関与する報酬比例年金を縮小して、民間が運用する個人年金に移行してもらおうと働きかけたのであった。


■3. ブレア政権「第三の道」と年金改革
 ブレア政権は旧労働党の政策もサッチャー保守党の政策もともに批判し、新たな改革を提唱した。そこには公的年金の抜本的な改革も含まれている。
 では、ブレア政権はそれぞれどのような点を批判したのだろうか。

(1)旧労働党への批判
 EU(欧州連合)が誕生するなど、ヨーロッパではグローバル化が顕著である。そんな中、旧労働党のように高福祉・高負担を貫こうとすると、高い税から逃れるために「足による投票」が起こり、富裕層が国外に移住し、企業は海外に生産拠点を移し、国内に残るのは貧困層と失業問題という事態を招く。
 そもそも、実践においてグローバルな視点を欠いている社会民主主義は、現代に適応できなくなっているのである。(5)

(2)保守党への批判
 確かに、旧労働党への批判から生まれた保守党による改革は、国際競争力の強化という点では問題は解消されたのかも知れない。しかし、自助努力というスローガンのもとで、低所得や失業など、本人の努力ではどうにも回復できないような問題は現に存在し、いわゆる「社会的排除」の問題が起こった。保守党政権はこれらの問題を放置してきたのであった(6)。さらに「機会の平等」は疑問視されている。グローバル化により単純労働は労働コストの安い発展途上国に奪われ、スキルのない人々は失業し、スキルを付けようにもお金がなく、ますます貧困になるという悪循環が起こるというのである。また貧困世帯の子どもについても高い教育が受けられないために、貧困の世代間連鎖が怒っているのである(7)。
 これらは各自の自助努力では解決し得ない問題である。

(3)ブレア政権の年金改革
 サッチャー政権は報酬比例年金の加入者を個人年金に移行させるべくその音頭を取ったが、@個人年金は保険料が割高で中所得者層ですら加入するのが困難な人が多い点、A一部の保険会社が適切な説明を怠り、個人年金に対する人々の不信感が強まっていた点、B失業中でも保険料を納付しなければならない点などの問題点が指摘される。
 また、旧来からある企業年金については、@勤め人しか加入できない、A中小企業には企業年金のないところが多い、B転職に不利などの問題点があった。
 これらの問題が相まって、「失業・転職経験者の4割、自営業者の3割、パートタイマーの5割が、いずれの私的年金にも加入していないという状況」になっていた(8)。さらに、公的年金の給付水準が低いため、公的年金にしか加入できない低所得者を苦しめているという点も指摘される。
 ブレア政権の年金に対する考え方の基本は、「公的年金は、老後を自力で備えられない者に向けられるべきで、自力で行なえる者は、私的年金を利用すべき」というものである。そこでは、公的年金の給付水準の引き上げ、新たな個人年金の創設の二つが主張された。
 前者では、旧来の報酬比例年金を「国営第二年金」と改めて、給付額を旧来の約二倍に引き上げることによって低所得者への対応を試みた。また後者については、低コストで安全性が高く、柔軟性にも優れた新型個人年金「ステークホルダーペンション」を創設した。中所得者層には国営第二年金への加入を認めず、ステークホルダーペンションをはじめとする私的年金の利用を促す事も検討されている。
 このステークホルダーペンションが@低コストでA安全性が高く、B柔軟性に優れているといわれる所以は、@年金を販売する会社に対し、その手数料に上限(1%)を設けている点、A運用を監視すべく加入者から選ばれたトラスティーの存在と最低年1回の運用実績の加入者への報告義務化、B個人単位で加入できるなどが挙げられるだろう(9)。

(4)ブレア政権の年金改革の背景
 では、ブレア政権の年金政策の背景として取り上げられる「第三の道」とは何だろうか。その点について少しだけ触れておきたい。
 時系列的に見て、旧労働党政権のやり方を「第一の道」、sっちゃー政権をはじめとする保守政権のやり方を「第二の道」とし、これら二極分化されたいずれとも異なるという意味で、ブレア政権の手法は「第三の道」と呼ばれるようである(10)。
 「第三の道」では、旧労働党政権のように、政府が市場に直接介入するようなことはせず、かといって、サッチャリズムのように市場ベースに放任するというのでもない。市場を積極的に活用する一方で、政府が「条件整備」を行って、市場を間接的に調整するという「条件整備型国家」が採用されている。これまで議論されてきた「政府介入か、自由市場か」という対立図式ではなくて、両者が補完関係にあるというのである。
 社会保障について考えてみれば、高福祉・高負担の政策では、人々の国家への依存度が上昇し、自立を阻害しかねないという事が懸念される。一方で、セーフティーネットで足りるかと言われれば決してそうではない。一度網を踏み外し、再び元に戻らせるという点に欠けているのである。セーフティーネットで十分という考え方では、貧困層は慢性化してしまうだろう。
 そこでブレア労働党政権の新しい福祉政策は、セーフティーネットに対して、もとの場所まで戻れるようにという意味で「トランポリン」と言われる。「福祉国家」に代えて「社会投資国家」(the social investment state)と呼ばれるように、教育や職業訓練を充実させることにより、まずはスキル不足を打開しようとしている。先に紹介した悪循環も、スキル不足に起因するものであった。ブレア労働党政権は、年金改革と併せて、失業対策などのニューディール政策にも力を入れている。


■4. 日本への影響
 イギリスの年金改革を我が国はいかに参考にすべきだろうか。急速に進む少子高齢化のもと、「年金を納めたところで自分たちが高齢になった時にもらえるだろうか」との不安が若年世代に広がり、国民皆年金との看板に反して、国民年金の加入者(自営業者・主婦・学生)の約3分の1が保険料未納。年金の破綻が危ぶまれる中、景気の低迷とも相まって、今後ますます年金未納者が増加することも心配される。
 サッチャリズムの失敗は、日本も大きな教訓にすべきである。国の運用でダメなら市場ベースで、と考えがちだが、ブレア政権が提唱しているとおり、公的年金は、そもそも自分の力で老後に備えられない人のためにこそあるのである。市場ベースに委ねることで、こうした人々が社会的排除の対象となり、犠牲になることがあってはならない。
 ただ、国家が年金運用の条件を整備し、民間がその下で運用するというのであれば、それは行き詰まった現状を打破するためにも、効率的な運営を考える上でも、大いに積極的な議論をすべき事であると考える。


■おわりに 〜英国年金の長所・短所〜
 これまで見てきたとおり、イギリスの年金政策には、政権によって左右されるという特徴がある。当然、政策は政権によって左右されるものであるのだが、イギリスではこうした動きが顕著である。
 しかし、政権によって左右されるということはプラスにも評価できる。選挙時に公表されるマニフェストに各党の年金政策は明記される。国民はこれにより投票するわけであるから、支持しうる年金政策を主張する政党に投票すればよい。
 また、イギリスのステークホルダ−ペンションにおいては、中小企業経営者への負担増を懸念する声もある。これは5人以上の従業員のいる企業で企業年金をもたないところは、ステークホルダーペンションへアクセスできる環境の整備や従業員への加入呼びかけが義務づけられるからである。また、公的年金が確定給付年金であるのに対し、ステークホルダーペンションは確定拠出型年金であるため、老後が不安定になるのではないかとの指摘もある。
 イギリスの年金改革を概観し、その長所は積極的に取り入れ、短所は反面教師的に考えて、同じ過ちを日本で犯さないようにしなければならない。
 イギリスの年金改革を考える際、常に政治の問題と一体となって議論される。形成過程で政治的な問題もあるだろうが、日本でももう少し表立って議論されてもよいのではないだろうか。新聞にはかなりの紙面が割かれているものの、特に学生などで年金に関心のない人は多い。「まだまだ先」「自分が年老いた頃にはなくなっている」などと言うのは(意見として)構わないが、ではなぜ年金制度があるのか、ということである。年金がいらないなら各自が老後のために貯蓄しなければならず、ますます消費が低迷する…、といったことも視野に入れなければならない。
 投票率の低下、政治への無関心が指摘される日本で、もっと選挙時にまともな議論をすべきである。次の選挙ではマニフェストが現れるようだが、年金改革について、そこで大いに議論し、国民の関心事としなければならない。いずれそれぞれが直面する問題なのであるから。
 日本がイギリスから一番に学ぶべき事は、こういう事なのかも知れない。



(1)藤森克彦「英国ブレア首相の唱える第三の道とは何か」(富士総合研究所『Occasional Report』1999 年2月)
(2)同上
(3)同上
(4)藤森克彦「英国で始まる新型私的年金『ステークホルダーペンション』−英国ブレア首相の年金改革−」(富士総合研究所『PRESS RELEASE』2000 年12月22日)
(5)アンソニー・ギデンズ(佐和隆光訳)『第三の道』日本経済新聞社 1999
(6)藤森克彦「英国ブレア労働党政権の『第三の道』と社会保障改革」(富士総合研究所『研究リポート』 2000年10月)
(7)藤森克彦「英国ブレア首相の唱える第三の道とは何か」(富士総合研究所『Occasional Report』1999 年2月)
(8)藤森克彦「英国で始まる新型私的年金『ステークホルダーペンション』−英国ブレア首相の年金改革−」(富士総合研究所『『研究リポート』 2000年10月)


UP:20050223

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