>HOME 原稿 「弱視学生が受講するに際し教員が配慮すべき事」についての意見書
20040208 青木 慎太朗 同志社大学 総合政策科学研究科 1.はじめに 弱視学生が受講するに当たり、教員がどのような配慮を行うべきか、といったことを、一般的に定めることは困難である。弱視者は個人によって見え方が異なり、それにより、要求される配慮の内容が異なってくるからである。 以上の認識が、大前提として、極めて重要であると考える。そして、こうした視点をふまえ、どのような配慮をするか、弱視学生本人と担当教員が、講義開始に先立ち、事前に協議できる場が設定されることが望ましい(なお、この点、米国などでは当然のこととして実施されているようである)。大学はマニュアルを策定して教員に周知させるのではなく、学生が教員に自己の障害について伝え、どのような配慮が必要であるか、直接要望できる場を設定するべきである。 以下、この点を前提としつつ、一般的に言われていること――とくに視覚障害学生に対するアンケート調査や、青木のこれまでの研究成果、そして青木自身の経験に基づき――をまとめる。 2.講義での配慮 各大学において、講義では以下のような配慮が為されている。 (ア)座席指定 例えば最前列中央など、弱視者が黒板を見やすい場所を確保し固定するもの。語学など、座席を指定する場合にはとくに注意を要するが、それ以外であっても、弱視者が教室に到着した際、既に席が埋まっていた、等という自体は予想できるので、予め配慮が必要であると思われる。 (イ)講義資料の拡大コピー レジュメ等の講義資料を事前に拡大の上、弱視学生に配布するもの。 (ウ)講義資料のデータによる提供 資料をデータの形で、Eメールに添付するなどして、弱視学生に手渡すもの。パソコンの画面上で見やすい大きさで見ることができるほか、適当に加工した上で出力することも可能なため、拡大コピーよりもデータによる提供を望む学生がいる。 (エ)板書の読み上げ・指示語の禁止 板書については、できるだけ書いた内容を読み上げる。弱視者は補助具を使って黒板を見る場合が多く、また、とくに手元の資料や教科書を見ながら黒板を見る場合、複数の補助具を取り替えて使わなければならないため、できるだけその負担は軽減されたい。本人の希望によっては、大きめの字で板書する方がよい場合もある。 また、黒板に書かれた内容を指さし「あれ」「それ」「こっち」等と指示語で説明する場合、弱視者はそれが見えないため、意味を理解できない。したがって、指示語ではなく、書かれてある内容を読み上げるなどして対応する必要がある。 (オ)ビデオ教材の解説(字幕部分の読み上げなど) ビデオ教材を使用する場合、そのビデオがどういう場面なのか、分かりにくい場合がある。そのため、教員による解説を要する。また、遠くあるいは頭上にある画面を長時間ながめ、細かい字幕を読むのは非常に疲れるので(あるいは、どう頑張っても見えないので)、教員による読み上げを要する。 また、教室ではビデオの内容を十分理解できない場合が多いため、本人の希望に応じてビデオのレンタルやダビングなどにより、本人が教室で分からなかった部分を自宅で学習できるよう、支援することが望ましい。 (カ)パワーポイント使用の自粛 パワーポイントを使って進められる授業が増加傾向にあり、弱視者の中には危機感が増している。パワーポイントによってスライドに映し出された内容は、決して見やすいものとは言えず、また、教室の電気を消す場合がほとんどであるため、人によっては手元がまったく見えなくなり、補助具の操作自体が困難となる場合もありうる。投影される内容をプリントにして手渡すという配慮は当然として、それを見ることは、暗い室内では困難である。 また、ペンライトによって「あれ」「これ」と指される場合、手の動きを頼りに指示語の内容を理解しようとすることすら不可能である。弱視者が平等に授業を受けるという点で、パワーポイントなどの使用は、極めて制限的・差別的対応であるということを認識しておいていただく必要がある。 そのため、より制限的ないし差別的でない他の選びうる手段が他に存在する場合、それによって授業が為されるべきである。 3.体育での配慮 体育実技科目の履修においては、特別のクラスを設置するか、一般クラスで履修する場合に補助員を付ける、という、いずれかの場合を採用するべきである。 同志社大学では特別のクラスが設けられているが、必須科目との関係でそれを受講できない場合があり、その場合は、一般のクラスで受講し、教員が対応する、という形である。つまり、原則自体には問題はないが、一般のクラスで履修する場合に補助員が付かない、というのは問題がある。一人の教員が全体を把握しつつ、個別対応するのは限界があるし、事故にもつながる。 4.実験・実習での配慮 実験・実習については全員が履修するわけではないから、手元の資料にも限りがある。補助員が付く場合、補助員は付かず教員が配慮する場合、まったく配慮がない場合など混在するが、それは実験・実習の中身によって当然異なってくるだろう(例えば、理科系の実験には補助員が付く場合が多いが、教育実習には付かない場合がほとんどである)。本人の希望と合わせ、例えば、慣れるまでの短い期間補助員を付ける、といった配慮はあってもよいように思う。 5.定期試験での配慮 試験問題の拡大、試験時間の延長、別室受験は、大学の制度として確立されている。が、大学(教員)によっては、レポートによる代替措置を執る場合も報告されている。本人の実力を評価することが試験の目的である以上、障害を理由に試験で不利になるようなことがないよう、適切な代替手段が講じられるべきである。こうした思想はアメリカでは既に入学試験においても取り入れられているようであり、日本でも、単位付与については教員の判断であるから、柔軟な対応が可能であるはずである。 6.総括 ここでは、あくまで一般的に言われているようなこと、そして私自身の経験から言えることをまとめてみた。しかし、冒頭にも断った通り、個々の障害学生のニーズに即した対応が必要であって、そういったニーズを伝えられるのは、何より本人である。したがって、本人が事前に直接教員に配慮のお願いをする機会を設ける事こそ、重要なのであって、例えば、ここに述べたような内容がメモとして教員の手に渡るのみ、というのは、決して私の望むところではない。 なお、ここに示したことは、その多くは、弱視学生のみならず、全盲の学生についても言えることであるし、また、個別対応が原則である、といったことは、聴覚など、視覚障害以外の障害をもつ学生に対する配慮にも、当然言えることである。 最後に、本講執筆にあたり、冨安芳和・小松隆二・小谷津孝明 編『障害学生の支援』,慶應義塾大学出版会,1996年を参考にした。必要に応じて参照されたい。 以 上
UP:20050309 ◇原稿 |