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6◆なぜ障害受容は中途障害に限定されるのか?
(特集:障害は“受容”できるか?)

2008/11/10 『リハビリナース』1-6:40-44
青木 慎太朗(羽衣国際大学非常勤講師)


  *これは私が送った最終校正前のデータです。引用等される際には、必ず原典に当たってください。

1 疑問
 障害の受容とはあきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観(感)の転換であり、障害をもつことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずること(上田敏,「障害の受容――その本質と諸段階について」,『総合リハビリテーション』8-7 pp515-521,1980年)
 これは上田敏によって示された障害受容の定義である。旧来から存在した価値転換論とステージ理論を融合して日本に紹介したものである。まとめ直すと、人が自分の障害を受容する際には、
  (1)医師等から障害があること(なおらないこと)を告げられてショックを受け、
  (2)それを否認し、
  (3)否認したところで現実が変わらないことに混乱し、
  (4)現に日常生活上に起きている問題を解決しようと努力をはじめ、
  (5)「障害があるために○○できない人(自分)は劣っている」という悲観から「○○ができなくてもそれが人間的価値を低下させるものではない」という価値観へと変化していく、
という心理的プロセスを経るとされる。
 しかしこれらは人生の途中で(事故や病気が原因で)障害を負った人(中途障害者)を念頭においた議論であるとともに、中途障害者に対するリハビリテーションの場面で用いられている。
 なぜ障害受容は中途障害者に限定されるのだろうか?
 本稿では、先天性の視覚障害者である自らの経験を振り返りつつ、この問題について考える。

  2 自分の障害と出会ったとき

 「あの時だ」と明確に示せるわけではない。事故や病気で失明した人ならば、具体的な時間を示すことができるのだろうが、私の場合は生まれた直後から右目が弱視で左目は見えない。それでも幼少の頃は左も光だけ見えていたが、今ではそれすら見えない。しかし生活にはまったく影響なく、左目が失明したことは視力検査で分かったにすぎない。私にしてみれば、物心ついた頃から自分の見え方は今の状態と変わりないから、何かの変化を感じ取って障害に気付くという経験はない。私にとっては、今のこの見え方が「普通」である。
 よく「どう見えていますか?」と尋ねられ、返答に困ってしまうことがある。質問者の(あるいは普通に見えているとされる人たちの)見え方が分からないため、比較のしようがない、というのが最大の理由だ。それで仕方なく視力を言うのだが、たいてい「ふーん」で終わりである。あるいは、「私がコンタクトを外したときと一緒だね」という反応が返ってくるときもあるのだが、たぶん違うと思う。そのコンタクトを私が付けても見えるようにならないから。だが、どう違うのか、説明できない。これも困ってしまって、話はそれで終わりになる。
 私が自分の障害を知るきっかけとなったのは、大きく分けて次の二つの“出来事”(の積み重ね)である。

2-1 私には見えないものが見えている人たちとの出会い
 生活の中で何かをしているとき、他の人と比較して自分が見えてないんだと気付かされる。電車に乗ろうとホームに行っても、止まっている電車の行き先表示が見えない。周りの人に聞くと、あっさりそれを教えてくれる。彼らには見えているが私には見えないということを実感させられる瞬間である。こんな経験は今では日常茶飯事だし、いちいち気にしていられないのだが、幼少の頃、親や友達との遊びと通して、自分には見えていないものが他の人には見えているんだということを感じ取っていた。
 「テレビを見るときは画面から離れて見ましょう」と教わったことがある。何を馬鹿なことを言っているのだろうかとその時は思っていた。離れてしまえば画面が見えないじゃないか、と。しかし、私が子供の頃にはファミコンが流行っていて、友人たちは画面から離れたところでそれを操作して遊んでいた。私はまったくその輪の中に入っていけなかったのだが、私にとっては友人たちがしていることの楽しさが分からないから、一緒に楽しみたいとか、それができないことに対する苛立ちのようなものは思い出せない。「こいつら、何がおもしろいんだろ?」と思いながら、一人で何か考え事でもしていたのではないだろうか(これは今でもよくあることだ)。ただ、周りと比べて何か違うということは感じていた。よく似た話だが、球技のどこがおもしろいのかも分からなかった。ボールが当たると痛いし、どこから飛んでくるかも分からず、見えたときには手遅れだったからだ。だがみんなは楽しんでいた。不思議だったが、その時私が抱いていた何とも言えぬもやもやした感覚が、自分が弱視であることが分かるにしたがって徐々に晴れてくることになる。

2-2 集合写真と鏡
 これはたぶん片方しか見えない弱視者特有の問題なのだろう。幼稚園から小学校低学年頃の集合写真を見ると、私だけ顔がゆがんでいる。「カメラの方を向いて」と声をかけられ、カメラは見えなくともその声のする方が真ん中になるように顔の向きを変える。私の場合は右目しか見えていないから、右目の真ん中にカメラが来るようにするわけだが、そうすると、右半分が前に突き出た形になる。みんな前を向いているのに、そして自分もそうしたつもりなのに、自分だけが横を向いている写真ができあがる。おかしい、おかしいと何度も思ったが、分からなかった。
 もうひとつが鏡である。鏡を見ると鼻は目と目の間にある。しかし自分では、鼻は目の左下にある。指で鼻を触ってみると、鏡では目と目の間を触っているはずなのに、自分では目の左下に手がある。やはりおかしいと思う。そして分からないまま時が過ぎる。

 こうした細々とした出来事の積み重ねによって、自分と周りとの違いを自覚し始めたわけだが、仮にこの当時「あなたは視覚障害者です」と病院で告げられたとしても、その意味はまったく分からなかっただろう。(いや、比較の術がないから、今でも分かっていないかも知れない…)
 小学校に入学すると、授業中に自分が周りと違うことに気付かされる。黒板を見るときには単眼鏡という器具を使い、教科書はルーペをフレームに埋め込んだ特殊な眼鏡を使って読む。こんなことはクラス中の誰もやっていない。しかも私は養護学級に通っていたから、時間割の一部がみんなと異なっていた。そこで器具の使い方などを習うのだが、これもやはり自分だけである。
 こうした出来事の積み重ねで、そのうちだんだんと、周りの友達と自分が違うこと、そしてその違いに弱視という視覚障害があることが分かってきた。何か得体の知れないもやもやしたものは、視覚障害というものを受け容れることによって、説明でき、納得できたのであった(いや、本当にそうなのだろうか? 納得できた気になっているだけかも知れない…)。そこにはショックも否認もなかったが、他方で、その視覚障害とやらが何ものであるかも分かっていなかった。
 私は子供の頃、定期的に眼科に通院していた。目の状態が不安定で、ときどき硝子体出血を起こしていたからだが、これが起こると目の前に曇りガラスをかぶせたようになり、色の見え方もおかしくなる。発熱と違い周囲に分からない病気だったため、学校をサボるための仮病ではないのかと疑われたこともあったようだが、眼科に行けば確かに出血が確認された。そのころから私は、見え方が人それぞれ異なること、そして自分の見え方は人には分からないことを知った。私が見ている赤いボールは、別の人には(私のいうところの)青に見えているかも知れない。そんなことを幼いながら考えていた。

  3 みんなが障害者になる日!?

 遠い将来、宇宙の果てに我々と似た人類が発見されたとしよう。そして私たち地球人との行き来が始まる。我々と彼らはよく似ているのだが、一つだけ大きな違いがある。それは空を飛べるかどうかだ。この時、その社会で我々地球人が多数派であるならば、彼らは“超能力者”ということになるだろう。しかし彼らが多数派になったなら、すなわち空を飛べることを前提として未来の社会がつくられていくとしたら、こんどは我々が“飛行障害者”ということになる。
 もちろんこれは架空の話だが、そういう時代がやってきたと想像してみてほしい。我々地球人は先天性の飛行障害者である。万有引力に支配され、たとえば川を渡るにもわざわざ橋のあるところを通らなくてはならない。飛べる宇宙人たちは、橋など関係なしに飛んで川を渡れるというのに…
 すると我々地球人は、同じ社会にあって、日常的にわざわざ遠回りしてスロープのある入口を探さなければならない車椅子利用者の不自由さ・不便さに自然に思いをはせるようになるかも知れない。
 ただ、この話はまた機会を改めるとして、ここでは、次の2つのグループの人々の障害受容について考えることにする。
  @ 飛行能力を生まれたときから失っている人(=地球人)
  A 飛行能力を人生の途中で失った宇宙人(=中途地球人?)
 今ある障害受容の定義をあてはめると、Aの“中途地球人”に対して用いられていることは冒頭にも述べたとおりである。しかし、それでよいのだろうか。@の“地球人”たち、すなわち我々は飛べないことをいつの間にか知っていき、それと向き合いながら生きることになる。隣に住んでいるおじさんは毎朝会社に向かって飛んでいくし、クラスメイトも先生も飛んで学校にやってくる。我々は飛べないから、渋滞した道路や満員電車で毎日くたくたになってしまう。飛べないことに伴う不自由さ、不便さ、そしてそんな状態が一生続くことへの不安は、人生半ばで(病気やケガで)飛べなくなった人たちも、人生の最初から飛べない我々も同じではないだろうか。
 「子供の頃は飛べたのだから、きっとまた飛べるようになる。病気が原因でもう一生飛べないだなんて、嘘に決まっている」と信じて疑おうとしない宇宙人(=中途地球人)に対し、リハビリテーション施設の“飛行訓練士”たちは、「あの人たちは障害が受容できてなくて困るよね」と陰口を言うかも知れない。しかし、この「あの人たち」の中には、我々地球人は含まれていない。我々地球人だって「がんばれば飛べるようになるかも知れない」と淡い期待を抱いているにもかかわらずだ。それにもっと重要なことは、我々地球人の空を飛ぼうとする努力は、中途で地球人になってしまった宇宙人(=中途地球人)のそれとまったく変わらないということだ。
 それにしても、飛行能力は身につけなければならないのだろうか?

  4 “障害受容”に内在する錯覚

 結局、障害受容が中途障害者に限定されることの根拠は、「定義がそうなっているから」ということになる。これまでの障害受容に関する議論には数多くの蓄積があるにも関わらず、それらは障害のない状態から障害のある状態への“変化”を要件としてきたがゆえに、先天性障害者をそこから排除してしまい、あたかも障害受容が中途障害者だけの問題であるかのような錯覚を与え、その中で議論を展開してしまっていた。
 しかし、自分の障害を知り、それと向き合い、克服するために某かの努力を期待されている点で、先天性障害者も中途障害者と同じである。そして、そもそも障害は受容しなければならないのかという疑問があるが、これについても、両者の間に違いはない。


UP:20090416
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