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今、障害をもつ私たち自身が考えなくては、社会や環境は変わらない

2009/04/01 『わんぱく通信』No.62
青木 慎太朗(羽衣国際大学非常勤講師)


 私は先天性の弱視で、右目が少し見えているだけです。中学・高校の6年間を盲学校で過ごし、同志社大学に進学。社会福祉学を専攻し、障害者福祉の制度面に興味をもち、大学で学んでいる視覚障害者の支援を中心に研究してきました。また、障害者支援とIT活用に関する研究にも取り組みました。
 現在は、羽衣国際大学の非常勤講師として、介護福祉士をめざす学生たちに、障害者福祉論や視覚障害者の介護技術を教えています。今まで自分が勉強してきたこと、経験してきたことを、学生たちにわかりやすく伝えられるよう、日々努力しています。
 また、視覚障害者のガイドヘルパー養成研修の講師もしています。視覚障害者の支援に携わる人たちの養成に関わることで、間接的に視覚障害者の福祉に貢献できればと願っています。
 視覚障害者にとって障害となるものは、情報と移動であるといわれています。私たちが不自由を強いられるのは、私たちが見えないから・見えにくいからだと、つまり、私たちの側に原因があるように考えてしまいがちです。しかし、書店や図書館に点字や録音の図書があれば、駅のホームに安全柵があれば、私たちの障害はずいぶんと軽減されるでしょう。本は見えている人たちのことを思ってつくられ、駅ホームも見えている乗客の移動を前提につくられているからこそ、見えない・見えにくい私たちには使えなかったり、使いにくかったりするわけです。私たちの障害(不便さ・不自由さ)はこうした環境、もっと広くいうなら社会によってつくられたという側面があり、それがかなり大きいのです。そして、見えない人にいくら訓練をしても見えるようにはなりませんが、社会や環境は変えていくことができます。
 私は今後もこのことを訴え続けていきたいと思います。そして、そういう社会の実現に向けて、いろいろと取り組んでいきたいと思っています。


UP:20090416
原稿