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第9回神戸障害学サロン

いま、盲学校を考える
――私は盲学校を選び、そしてあなたは選ばなかった――

March 16, 2004  青木 慎太朗
同志社大学 総合政策科学研究科

1.はじめに 〜盲学校に対するイメージ〜
(1)ひとつの新聞記事
 ……本名・松本智津夫。一九五五年三月、熊本の畳屋の四男として生まれた麻原容疑者……県立盲学校時代から「自分が主役」と振る舞ってきたというこの戦後の申し子は、最初は単なる「詐欺師」だったようにみえる。しかし、故郷を追われた末に、たどりついた富士のふもとの「オウム帝国」は、人類を救済するどころか一般市民を無差別に殺戮(さつりく)する「テロ集団の巣窟(そうくつ)」に化していた。
 その過程で何があったのかは、まだ分からないところが多いが、彼にとって、あの上九一色のサティアンは、盲学校時代に身を寄せた寄宿舎の延長線、危険な妄想を育てる閉じられた空間だったのではないか。……(毎日新聞「[記者の目]オウムに染まった若者たち 病巣は日本社会にある」 1995.05.17朝刊6頁)
(2)一般的な(=社会の多数者が抱いている)イメージの例
   暗い 別世界 閉鎖的
(3)盲学校の位置づけ ――法的に考えてみる――
 学校教育法(第6章 特殊教育 第71条〜76条)に定められている。
@ 目的
 盲学校は盲者(強度の弱視者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施し、あわせてその欠陥を補うために、必要な知識技能を授けることを目的とする(71条)。
A 教育内容
 盲学校の小学部及び中学部の教科、高等部の学科及び教科又は幼稚部の保育内容は、小学校、中学校、高等学校又は幼稚園に準じて、文部科学大臣が、これを定める(73条)。
B 寄宿舎
 盲学校には寄宿舎を設けなければならない。ただし、特別の事情のあるときは、これを設けないことができる(73条の2以下)。
C 盲学校への措置
 「都道府県は、その区域内にある学齢児童及び学齢生徒のうち、盲者、聾者又は知的障害者、肢体不自由者若しくは病弱者で、その心身の故障が、第71条の2の政令で定める程度のものを就学させるに必要な盲学校、聾学校又は養護学校を設置しなければならない」(第74条)
*条文は「 」内を除き抜粋である。
 盲者については盲学校へ、弱視者は特殊学級へ(第75条)
 → 措置=行政処分は個人の選択ではなく行政の裁量である。だから、選べない?

2.「施設」としての盲学校
 「施設」という制度には、「管理」と「隔離」がついてまわる。(尾中[1995])
(1)「管理」の要素
@ 規則の厳格さ
食事、就寝、頭髪、服装
A 職員との保護−被保護関係
「先生」と呼ばせる、申請−許可主義、子ども扱い
(2)「隔離」の要素
@ 高いコンクリートの壁で囲まれ、閉ざされた空間
その範囲だけでの生活、部外者の遮断
A 外部との接触の機会の制限
外出、外泊、面会
B 立地条件
人里離れた場所に存在
 これらを盲学校に当てはめてみると、@学校という組織自体、盲学校でも一般の学校でも「管理」や「隔離」の要素に相当数該当している事――とりわけ、大阪教育大学付属池田小学校の事件などを受け、学校は一層閉鎖的になってきている――、Aしかし、盲学校の寄宿舎は、放課後の時間を過ごす生活の場であるにもかかわらず、これら「施設」の要素に多数該当している事がうかがえる。
 そこで、寄宿舎の問題を考えてみる。
@ 立地
盲学校に併設
→したがって、その限りで、学校の塀によって外部から隔離されている。
A 規則の厳格さ
食事や就寝の時間は決まっている
B 職員との保護−被保護関係
おそらく、そのまま当てはまる。
C 現実の一元化
学校生活と家庭生活、時間的な昼と夜、空間的な学校と家庭が、唯一の現実の統合される。
D 避難所の不在

3.ノーマライゼーションと施設批判
 ノーマライゼーションの理念は、こうした福祉の空間とも呼ばれる施設を批判する。その流れに乗って、統合教育の主張が為され、盲学校から地域へ、分離教育から統合教育へ、という流れの中で、盲学校は批判される。
 が、その一方、例えば在日韓国・朝鮮人のための民族学校は、その存在がむしろ肯定されている。異なるものを異なって扱う事、が、一方では批判され、一方では肯定されている。何が異なるのか?
 ここに集団Aと集団Bが存在し、Aに対応する環境がaであるとする。このとき、Bはaを享受できない。この時、選ばれうる方法は、@Bの人たちに対応する環境bを用意する事、または、AAもBも両方使えるような環境cを設定しようとする事、である(立岩[2004])。
 地域の学校が健常者(と呼ばれる人たち)のものでしかない、という現実があり、@の考え方では、だから視覚障害者教育のための盲学校を用意しろ、という事になる。一方Aの考え方では、健常者も障害者もともに学べる環境を整備しろ、という事になる。
 統合教育を支持する流れがある中でも、例えば手話を第一言語とする聾者の教育について、聾学校での教育の存続を求める動きがある。ここで、聾者におけるほど、盲者にとっての盲学校存続の要求は高くないように思われる。その違いはどこに見いだされるか。一つの手がかりとして、障害者文化を上げてみたい。

4.障害者文化 ――聾者と手話/盲者と点字――
 聴者にとって聾者とは、耳が聞こえない人を指す。これに対し、聾者にとって聾者とは、手話を自分の言葉として使っている人の事である(金澤[1998])。盲者の場合、「盲人」と「視覚障害者」とを意識的に区別し、前者を文化的なものとして捉える事もあるが、通常これらはほぼ同義語として扱われる(倉本[1998])。
 聾文化にとって聾学校の役割が重要であるなら、盲学校にも、盲文化を伝授する場としての役割があり、それ故にその存在が肯定されてもよい。そしてこれは、民族学校が肯定される所以でもある。

5.同化の問題
 統合ないし同化には、どういう問題があるのか。ユニバーサル・デザインなどによって肯定ないし美化されるこういった考え方を批判的に見てみる。
 例えば、アメリカにおける黒人の白人社会への同化を考えた時、確かに、それ以前に比べて、黒人である事による差別は減少したかも知れないが、逆に、白人の中産階級に同化できた黒人と、できなかった黒人との差が開いたとの指摘もある。
 集団AとBがあり、この両者の差を解消すべく同化ないし統合の政策が採られた時、今度は、Aに同化できたBとAに同化できなかったBとの差が現れる。
 統合教育の流れのもと、これまで盲学校を選ばざるを得なかった盲者が、地域で障害をもたない子どもたちとともに学ぶ事ができ、その一方で、それができない人がいる。原因として、家庭環境などが上げられ、盲学校ではなく、地域の学校を選択する、という人に対する支援が不十分である事がその原因であるのだが、盲者の中で、統合教育を受ける事ができる(その能力のある)人と、盲学校に行く(様々な理由で統合教育が受けられない)人との差が生じてくる。

6.「文化」が内在的にもつ問題
 ……かつて盲文化の中核を担ってきたのは点字使用者たちであった。点字をただ単なるメディアとしてだけではなく,自身のアイデンティティの一部として感じる盲人も少なくない。そのためだけではもちろんないのだが,点字でもなく晴眼者が用いる一般の墨字でもない文字にこそ,親和性を有する身体の持ち主が存在することに,盲界主流が長くのあいだ目を向けてこなかったのは事実である。本節冒頭でみたように,現在盲界の内部では,それぞれの身体に適合的なメディアの選択が可能なよう,複数媒体による情報の同時並行的提供が実現している。だが,そうした存在への気づきの遅れがなにをもたらしたかは,まだまだ不十分であるとはいえ,晴眼社会への点字の普及度と拡大文字などのそれを比較すれば一目瞭然だろう。また,いまでも,盲界のリーダーと目される人びとの一部には,点字を読めぬ者,それを自在に操れぬ者を蔑視する傾向がなくもない。特定のメディアに特権的な位置を与え,それ以外を無視ないし排斥するといった構図は晴眼社会のそれと相似をなすものではないか。盲人身体との親和性を確保しつつ,文字の文化への参入を可能としたはずの点字という媒体を生み出した盲文化が,そのうちに潜在したもうひとつの「盲文化」の可能性をつい最近まで抑圧し続けてきたことは記憶されて然るべきだろう。(倉本[1998])

 ここに引用したような事が、盲学校では起こっている。弱視者を除き、点字ができない者に対しては、何よりもまず、点字を習得させようとする。最新のコンピュータ技術を用いるという選択をさせない。また、点字によらない大学受験を認めない(=支援しない)。それは、これまで点字による門戸開放を主張してきた自らの立場と一貫性がなくなるからか。不思議な事に、盲学校をはじめ、当事者団体、すなわち、盲界主流は同様である。
 思うに、そもそも「文化」という概念を持ち出す事は、常に何らかの排他性がある、という事を意味するのではないか。文明開化の流れの中で、西洋文明に技術的にかなわなかった日本が持ち出したのは、大和魂などの日本文化だった。そして、これらには当該集団に属していなければ享有できないものである。
 聾者にとって、手話を第一言語としない者は聾者ではない。盲者にとっては、点字を使えないからといって、直ちに盲者でないという事ではないが、点字を読めぬ者、堪能でない者に対する蔑視がある。
 これらは、「文化」が内在的にもつ問題だから仕方ないのか? あるいは、どうすれば変えられるのか?

7.平等主義者による差別 ――盲学校を選ばなかったあなたへ――
 これは、私が感じ続けている事なのだが、障害のあるなしにかかわらず、地域で一緒に学べることがよいことだ、として、盲学校ではなく、地域を選ぶ人が増えてきている。学校を選ぶ段階で、子ども本人の意思は十分ではないから、参考にされる事はあっても、決定するのは親であろう。つまり、盲学校か統合教育かの判断は、親によるところが大きい。
 分離教育を差別的と批判し、統合教育を選ぶ、一見平等主義者に思える人たちだが、実は、差別主義者であるかも知れない(もちろん、みんながそうである、という意味ではないが)。盲学校やそこに在学する人たちに対する差別意識が根底にあるからこそ、「自分の子どもに『あんなところ』に行って欲しくはない」「うちの子は地域の学校でもがんばれる(=盲学校にいる人たちよりも能力が高い)」と思うのではないだろうか(もちろん、当人は否定するだろうが)。もちろん、盲学校を選ばない理由は、後に示すような盲学校の問題点ゆえである場合もある。

8.盲学校の問題 ――私のように選ぶ人たちへ――
 盲学校が盲文化を育むところとして重要な役割を果たしているとして、しかし、先に示した寄宿舎の問題と合わせて、盲学校には克服しなければならない問題がある事は言うまでもない。
@ 社会性が育たない
 人間関係が限られる事などから、この点はよく指摘される。
A 進路の画一化
 これも聞いた事がある。盲学校小学部に入学する子どもに、「あなたがここを卒業する時には、立派な鍼灸師になっているでしょう」と決めつけられ、よい気はしない。
B 存在自体が差別的
 存在自体が差別・偏見の再生産を助長しているとの指摘もある。
 では、例えば民族学校にも同じ事が当てはまらないか。少なくとも、Bは言えそうな気もする。障害・民族を基準に分ける事が差別の助長であるなら、性を基準に分ける男子校や女子校はどうなるのか?
 今日の流れとして、盲学校のセンター化が言われる。幼稚部から高等部まで地域の学校を原則とし、盲学校がサポートセンターになるというシステムは、有効なのだろうか? 盲学校を解体せしめ、盲文化育成の側面、盲人どうしのネットワークが崩壊する事を、私たちはどう考えればよいのだろうか?

9.選択できる事
 盲学校か統合教育か、施設か地域かの議論に際し、それぞれにメリット・デメリットがあるから、例えば盲学校を解体するのではなく、選択できるようにすべき、との主張があり、支持される。介護保険・支援費制度の流れの中で、福祉分野でも、選べるという事が支持される。
 私は地域の小学校に通い、中学から、盲学校に通った。本音は、少人数教育を受けて大学に行きたい、それだけだった。人間関係の事、差別の事、盲学校に行くに際し、消極的な助言をくれた方々は、そういう事を言っていた。私の通っていた盲学校は、大学受験に消極的ではなかった。それは、専攻科に相当数の学生が在学していて、普通科から調達しなければ学生が確保できない、などといった状況に直面していなかったから、というのも、原因の一つだろう。あるいは、私の担任が盲界のリーダーでなかったからか。
 選択できる事は、選択できないより良い。たぶんこれだけは間違いないと思われるが、しかし、だから選択できる事がそれ自体で最善の事である、というわけではない。

文献リスト
尾中文哉[1995] 「施設の外で生きる─福祉の空間からの脱出─」安積純子・尾中文哉・岡原正幸・立岩真也『生の技法 ─家と施設を出て暮らす障害者の社会学─ 増補改訂版』,藤原書店,第4章
金澤貴之[1998] 「聾文化の社会的構成」『解放社会学研究』vol.12,日本解放社会学会
――――[1999]  「聾教育における「障害」の構築」石川准・長瀬修編『障害学への招待 ─社会、文化、ディスアビリティ─ 』,明石書店,第7章
菊島和子[2000] 『点字で大学 ―門戸開放を求めて半世紀―』視覚障害者支援総合センター
倉本智明[1998] 「障害者文化と障害者身体──盲文化を中心に」『解放社会学研究』12号,日本解放社会学会
杉野昭博[1997]  「『障害の文化』と『共生』の課題」青木保ほか編『岩波講座文化人類学第8巻 異文化の共存』岩波書店,第9章
立岩真也[2004]  「問題集──障害の/と政策」『社会政策研究』4号,東信堂
ましこひでのり[1998]  「障がい者文化の社会学的意味」『解放社会学研究』12号,日本解放社会学会


UP:20050120
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