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障害児(者)を支える家族や教師、を支える機制
――生存学からの問い――

2007/11/02 平成19年度 第5回寄宿舎職員研修 於:大阪府立盲学校寄宿舎
青木 慎太朗(羽衣国際大学人間生活学部非常勤講師・立命館大学グローバルCOE「生存学」創成拠点)


《概要》
 障害児(者)の支援を考えるとき、私たちはその本人をいかに支援するか考えがちである。また、医療やリハビリテーションの現場では、それらをいかに治療し自立していくかが論じられ、障害児(者)の教育に携わる現場でも、こうした医療やリハビリテーションが付与した自立観に基づいて、障害児(者)を健常者に伍してできる人材にして社会に送り出す事がめざされてきたし、また、今なおめざされている。
 しかし、障害をもつ当事者たちが主張してきた「自立」は、「ひとりでできること」と同義ではなかった。他人の援助を借りてでも自分の意思で決める事、決められるようになる事こそが自立であると考えた。こうした価値観に基づく自立を障害者が達成するためには、いかなる支援が必要になるのか、そして、その力を養うためには、いかなる教育支援が必要になるのだろうか。考える。
 次に、障害児(者)をただ一人援助すればそれでよい、という事にはならない点について述べる。障害児(者)にはその属する家族があり、地域があり、学校がある。とくに盲学校寄宿舎との関係で理解しておかなくてはいけないのが、家族と学校であるから、この点を寄宿舎に期待される役割の二重性との関連で考える。
 最後に、生存学が何を言おうとしているかについて、簡単に説明する。

■1 私の履歴書
 [略]

■2 受けてきた支援

1.小学校時代の私(=統合教育)
 小学校の時、私は統合教育を受けていた。校区が出身幼稚園と同じだったため、メンバーは一緒だった。小学校時代の仲間は、「弱視の私がいる」事を当然のこととして受け止めてくれていたと思う。どの程度見えているのか、何ができて/できないのか、彼らははじめから身近な環境の中にいる私を理解し、また私もそれに甘えていた。「慎ちゃんは落とした消しゴムが探せない」「慎ちゃんはトイレに一人で行ける」「鬼ごっこなどで遊んでいる時に自分たちが逃げていってもついてくる」など。
 しかし、私は5年生の時に転校を経験し、先に述べたようなことがまったく通用しない世界に放り込まれることとなった。新しい環境で出会った仲間の私に対する理解は、「遊んでいる時には追いかけてくるのに、落とした消しゴムが拾えないなんておかしいだろ」といったものだった。だから、「本当は見えているのに、都合の悪い時だけ見えていないふりをしているんだよ」などと誤解され、陰口を言われたこともあった。もちろん、それまでは「やってもらって当然」のように考えてしまっていた仲間からのサポートを、転校後も当然のように思い込み、「消しゴムが無い、探してくれ」といった形で偉そうに頼んでいた私にも今思えば原因があるだろう。しかし、何と言っても、弱視という「分かってもらいにくさ」があることは確かだと思う。大人でさえまともに理解できない弱視を、小学生が理解できるとは思えない。どのように相手に分かってもらうか、ということを考えさせられた時期であった。

(1)原学級でのサポート
 原学級での授業は単眼鏡を使って黒板を見、プリントやテストは拡大コピーをしてもらい、教科書は拡大コピーをしたこともあったが、むしろ弱視鏡を使って読んでいた。しかし、本を読むのが遅く、本の嫌いな子どもだった。本読みの宿題もあったが、全然していなかった。

(2)養護学級でのサポート
 私の小学校には弱視学級などといったものはなかったため、原学級で足りないところは養護学級でフォローしてもらっていた。原学級と養護学級との関わりは学年によって、そして転校の前後によって違いがあるが、概ね次のようなものについては養護学級で学習していた。
  ・図形(算数)
  ・地図(社会)
  ・図工
  ・書写
 また、体育については、陸上関係種目は原学級で受講し、球技関係の時は養護学級に行っていた。
 原学級と養護学級の2つに在籍していたため、双方から宿題が出され、大変だった。(実際には原学級の方はさぼっていた…)

(3)親のサポート
 家庭では、漢字テストの前日などに書取の特訓をしてもらっていた。書取テストでは、漢字のはね・止め・はらいなどが重視され、縦棒の本数が一本多いとかで減点される。これらは本を見ただけでは私には正確に分からず間違いがちだったため、親が大きめの字を書いて教えてくれた。
 また、地域のボランティアサークルに色分けした地図を作ってもらい、養護学級の学習するとともに、家でも勉強していた。
 なお、私はテストの成績などほとんど気にしなかった。テストの前日でも本当は勉強する気はなかったのだが、友達のお母さんから母親にテストの情報が入り、仕方なく勉強机に向かわされていたというのが実際である。
 親のサポートというのは、決して勉強のことだけではないはずだ。勉強面でのサポートなら、養護学級でもできなくはない。親が何をやるべきか、という問題になると、単に勉強のサポートを充実させればよいというのは間違っている。
 一つの例を挙げて説明したい。私が飛行機に興味を持っていた頃、父親が日曜に大阪(伊丹)空港に連れて行ってくれた。双眼鏡で飛行機を見、父が飛行機の写真を撮り、いろいろと教えてくれた。一人で空港に行っても、今どの辺りにいる飛行機がどういう動きをしているか、といったことはなかなか理解できない。その子の興味に合わせて好奇心を満足させてあげることができるのは、やはり親なのだと私は思う。

(4)盲学校との関わり
 実は、盲学校との関わりということでもないのだが、盲学校のある先生のご厚意により、週一回盲学校に通って点字を教えてもらっていた。私の視力で今後どこまで墨字でやっていけるか、ということに不安があったためだ。
 これ以外にも、私の知らないところで盲学校とはいろいろな関わりがあったようであるが、私が覚えていないので、これ以上は何とも言えない。

(5)統合教育の問題点と課題
 私は中学校進学時点で統合教育に別れを告げた。それは、統合教育における問題点を痛感し、地域でともに学ぶ仲間と別れてでも、片道一時間以上もかかる盲学校に毎日電車通学する方がよいと親子で判断したためである。
 私は小学校の時、学校側のサポートに対して目立った不満は抱いていなかったと思う。しかし、多くの問題を抱えている人もいるようだ。何も弱視者に限ったことではないが、原学級で習得できない部分をどうやって補っていくか、また原学級での授業の際、教師はどのような配慮をするべきかなどといった問題について、今後一層考えていく必要があるであろう。
 私の経験から言えることは、仲間や教師にどうやって自分のことを分かってもらうか、ということが最も重要であるということである。かつての私のように誤解され、辛い思いをしないためにも、単に視力を数字で示すだけではなく、具体的にどういう事は自分でできて、どういう事は周りの援助を必要としているのか、ということを、仲間や教師に伝え、理解してもらうことである。
 親と教師、担任と養護学級の教師との連携はもとより、弱視教育についてのノウハウを有する盲学校との連携体制も必要になってくる。統合教育が進む中で、こういったことができているかどうかということが、重要なポイントになってくるであろう。
 そして、弱視児をもつ親どうしのネットワーク・情報交換の場も極めて重要であると言える。今後ますます充実していってほしい。

2.中学・高校時代の私(=盲学校)
 中学・高校という時期は、将来を見据えた重要な時期である。私が盲学校を選択したのは、地域の学校で晴眼者ペースの授業で学習するよりも、きめ細かな指導が受けられる盲学校の方が良い。友達に誤解され、いじめられて、そんなことで悩んだりしているよりは、同じく障害をもった者どうしが学んでいる盲学校の方が良い、と思ったからである。私は(たぶん親も)この時期から、将来は大学に行くことを意識していた。子どもどうしで遊ぶことも重要であるが、それはむしろ小学校段階であり、実際地域を離れて私立の中学校に行く人もいるわけであるから、私自身、正直なところ、盲学校に進むことに何ら迷いはなかった。

(1)授業
 盲学校の授業は1クラス4人(私の中学部時代:大阪府盲)で、丁寧な指導が受けられた。配布されるプリントは全て拡大されており、白地図が事前に色分けされているなどということもあった。
 体育についても、これまでできなかった球技が、盲学校でのルールに従えばできるということが、私には喜びだった。盲人野球・盲人バレー・盲人卓球など。
 さらに、実技系科目は、きめ細かなサポートのおかげで、私にとってはたいへん充実していた。

(2)人間関係
 1クラス4人、しかも全員が視覚障害者というのは、特殊な人間関係としか言いようがない。私のように、一度地域を経験した者はよいのだが、ずっと盲学校で生活してきた人は、盲学校を出た後、人間関係がうまくいかないこともあるようだ。それは、盲学校では当然のことでも、普通の人間関係においては全く普通ではなく、そのへんのことを分からずに育ってきたことの弊害である。
 したがって、盲学校で学ぶ場合、そこでの人間関係は世間一般からすれば特殊な人間関係なのだということを、何らかの形で本人に理解させる必要がある。それを怠ると、例えば大学進学後などに一般の学生と上手くやっていけないということにもつながりかねないのである。

(3)大学受験に向けたサポート体制
 「盲学校は進学校ではありません」という言葉に、私は高等部時代悩まされた。もっとも、それは明らかなことである。しかし、教師がこれを口にすることによって、進学指導はしないということを私たちに伝えているのである。
 もとより盲学校は、専門教育課程(専攻科/専修部などの名称がある)に優秀な生徒を送り、将来は鍼灸師などの視覚障害者固有(?)の職業に就かせるために創設されたという歴史をもっているし、今日でもこれが継続されなければ、学校の体制は維持できない。点字・拡大文字などの受験を大学が徐々に認めはじめ、それによって視覚障害者が盲学校から離れていったのでは、盲学校というもの自体がやっていけなくなる。実際、今日では専門教育課程の高年齢化が進み、学生のほとんどは中途失明者で、内部進学者が少数という状況である。学校側の心理として、優秀な若い学生に残ってほしい、というのは、ある意味当然であろう。しかし、学校のために生徒がいるのではなく、生徒のために学校があるわけだから、これがおかしいことは自明である。
 本来、高校は入学の時点である程度成績別に分かれており、その集団のレベルに合わせて教育することができる。しかし盲学校は、成績ではなくて視覚障害の有無によって分けられているわけだから、一般校のような教育は困難な面もある。
 それにも関わらず、私があえて盲学校を選んだのは、次のような策略があったからである。
 まず、学校の授業は簡単で構わない。その方が定期試験の成績が高得点になる。
 次に、受験指導は学校に期待するのではなく、予備校に通えばよい。予備校はまさしく大学受験のプロである。
 そして、推薦入試を使うなら盲学校の方が有利である。成績などの条件さえ満たしていれば、学内で推薦が拒否されるなどということはほとんどない。
 結果的に、私の作戦勝ちだった。高校進学時点の自分の成績では同志社大学には行けなかったと思う。
 さらに、学校を挙げての受験指導はしないまでも、先生が個人的に支援してくれるケースが多かった。

3.大学での弱視者支援 〜同志社大学の場合を中心に〜
 最後に、大学進学以降のことについて触れてみたい。

(1)教科書
 大学進学以降は、自分にどのようなサポートが必要かといったことは自分で大学に要望するというのが通常である。
 教科書をはじめ、授業を受ける上で必要な資料については、大学側に要求すれば拡大しいてもらえるケースもある。私は要望していない。また、これはあくまで大学によって異なる。

(2)設備
 私は大学側に対してパソコンの購入を要求し、昨秋実現した。22インチのディスプレイやスキャナなどが付属されている。また、ルームナンバーの表示などについても、見やすくするよう配慮を求めている。
 この他、拡大読書機は私の入学以前からあった。

(3)講義での配慮
 講義に際しては、配布資料の拡大、板書の読み上げ、試験問題の拡大と時間延長・別室受験、映像教材の解説などを要望し、概ね実現されている。なお、最前列座席の確保についても要望すべき事項であるが、幸か不幸か、大学の教室は後ろから埋まっていくため、最前列の座席が確保できずに困ったという経験はない。

(4)情報提供
 休講や試験の時間割といった情報は、事務室から個別に連絡をもらえるようにしている。なお、同志社大学では休講情報がWebでチェックできるようになっている。
 ただし、情報の送り手であるところの大学に情報保障を要望するのは当然として、とりわけ情報が錯綜している今日においては、どこまで責任をもたせるべきかといった問題があるのは事実である。

(5)その他のサポート
 大学院に進学した今年度より、対面朗読を申し込んだ。当初人数が集まらず苦戦し、私自身のストレスになっていたが、現在では1日2名程度協力してもらえる環境になっている。(時間割と照らし合わせれば、1日2名程度が無難)
 その他、私の要望により、同志社大学の学食(運営は生協)には優先座席が設置されている。

■3 親でもなく、教師でもなく、しかし、同時に、そうでもありうる――寄宿舎の役割

 私は寄宿舎にいた経験がないから、経験から語ることはできないが、寄宿舎職員と生徒たちとの関係はどうあるべきか、どういう立場、視点から支援するのが良いのか、考えてみる。
 ・寄宿舎職員は親ではない
 ・寄宿舎職員は教師ではない
 この二つは自明の前提ではあるが、時にそういう役割を期待されることがある。

■4 「ひとりでできること」の価値を問う――という生存学の戦略

 「自立」の三つの意味:どれか一つが「正解」というわけではない
   ・職業自立、経済的自立
   ・身体機能の自立
   ・自己決定の自立
 この三つに留意して、とくに自己決定できる能力を高める支援が重要。
 そのために、家族への支援も必要となる。
 「できること」を「できないこと」の上位に位置づけない。
 「できること」の価値を問う
  (1)「できること」による便利さ
  (2)「できること」それ自体の快
    ※両者は切り離すことが可能か?

■5 生存学=生きて存るを学ぶ

 グローバルCOE:「生存学」創成拠点(立命館大学大学院先端総合学術研究科 立岩真也)
  生きて存るを学ぶ
  障老病異と共に暮らす世界の創造
 問おうとしていること
  さまざまな異なりを経験している人たちがなぜ生きづらいのか?
  異なった人たち、周囲にいる人たちが学問や研究に参加するにはどうすればよいか?
   → 必要な費用負担をどうするのか?
     情報伝達のありよう、そのための技術を考える。


■補足・1 「個人モデル」と「社会モデル」

  個人モデル:障害は個人にあり、個人に治療やリハビリテーションを施して治す
  社会モデル:障害は社会にあり、社会(環境など)を変えていく

■補足・2 幸せのカテゴリー――障害はリスク、治療の対象か?

 →http://challenged.sakura.ne.jp/aoki/genko/20050901.html


UP:20090618
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