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障害学生の生活技術とその支援

2009/06/22 於:吉備国際大学
青木 慎太朗(羽衣国際大学非常勤講師)


  *以下、当日話す予定として作成したメモであり、当日話した内容とは異なります。(ここには書いたが話していないこと、ここには書いていないが話したこと、随分あります)
  *講演で言及したor参考になりそうな本・論文・原稿を、このページの下に掲載してあります。→本のリスト


1.はじめに――青木慎太朗の今昔物語
 おそらく、皆様はじめまして、ということになるのだろうと思います。青木慎太朗と申します。名前の「朗」はよく間違えられますが、朗らかという字を書きます。自分の性格にぴったりなんじゃないかと思っております。「太」については見ての通りですが、「慎」は慎むという漢字で、これはたぶん達成できていないと思っています。「慎重な」という意味なら、わりと達成できていると思ういますが…
 さて、今日は「障害学生の生活技術とその支援」というタイトルで、話をさせていただくためにやって参りました。本題に入る前に自分の自己紹介をすこし詳しくしていきたいと思います。
 私は生まれつきの視覚障害者です。右目の視力は0.04、左の視力はありません。これで「ふーん」と言ってくださる方もおられますが、たぶん伝わらないんだろうと思います。「私がコンタクトを外したときと同じですね」といわれることがありますが、それは違うと思います。だって、そのコンタクトを私が使っても見えるようにならないですから。いわゆる「普通に見えている」状態というのを、私は知りません。私の中では、今の私の見え方でずっと来ているわけですから、これが普通です。だから説明に困ってしまうのですが、たとえば、黒板があるのは分かるけれど何が書いてあるか分からない、とか、教室に机が並んでいて、みなさんが座っておられるのは分かるけれど、顔ははっきり見えない、とか、着ている服の色は分かるけれど、たとえばそこに何か文字が書いてあっても分からない、という感じで、具体的にいうしかないですね。私がどういうものが見えていて、どういうものが見えていないか、言葉でいうのは難しいです。やはり長いこと付き合っていく中で、だんだんと分かってもらえるんだろうと思いますね。
 私は現在、大阪府堺市にある羽衣国際大学という、この大学ともなんとなく似た名前の大学に勤めております。務めているといっても非常勤講師ですから、毎日いるわけではありませんが、そこには介護福祉専攻という介護福祉士をめざすコースがあり、その学生たちに障害者福祉論や視覚障害者介護について講義をしています。講義のない日は何をしているのか、ということですが、視覚障害者の外出を支援するガイドヘルパーを養成するための研修や、高齢者・障害者の在宅での生活を支援するホームヘルパーの養成研修などで講師をしています。
 こういう仕事をするためには、当然、いろいろなことを勉強してこなければなりません。大学や大学院で、私は障害者福祉のことを中心に勉強してきました。その話をします。京都の同志社大学に入学し、社会福祉学を専攻しましたが、大学で勉強しようと思うと、いろいろとたいへんなことがありました。詳しくはあとで話しますが、どうして自分たちがこんなにしんどいんだろう?勉強したくても思うようにできないんだろう?ということが疑問で、というか、現状が腹立たしくて、それで結局、そのこと自体に興味をもって、調べていくことになりました。この作業は、その後ずっと、今でも続いています。今日はこのあたりを話します。
 私は今でもそうですが、いろいろなことに興味をもち、チャレンジしてみようと思う性分です。大学3年生の終わりに、社会福祉の専攻に在籍していながら、将来は弁護士になりたいと思って、司法試験の勉強をはじめました。大学4年の1年間、ほぼ法律の勉強をしていました。ただ、実際に弁護士をしている人と話していて、実際の仕事は土地の境界線をめぐるいざこざや夫婦関係のトラブルなど、細々した作業が多いということを知りました。自分がやりたいと思っているような、たとえば障害者の権利に関する仕事は、ほんの一部になってしまうんだろうなと思っていて、だんだんと勉強しようという熱意が冷めていったんですね。そしてそんな時に、大学院に合格して、合格したということは自分の研究計画がある程度認めてもらえたということなので、嬉しくなって、結局、司法試験の勉強は1年で辞めてしまい、大学院で学ぶことにしました。わがままなようですが、このおかげで、憲法・民法・刑法の基本的なことは勉強できたので、今でも障害者福祉論の講義の中で、障害者と人権など、法律とリンクさせた話をすることができています。これは自分の強みだと今でも思っています。先月始まった裁判員制度はみなさんもご存じと思いますが、障害のある人が裁判員に選ばれたらどうなるかという問題がありまして、このあたりも自分のテーマとして取り扱っています。先週(6月14日?)の新聞に私の原稿が載りましたので、そのコピーをお配りしています。これはあとで読んでおいてください。今日の話を全部聞き終わってから読むと、理解していただきやすいと思います。
 大学院では障害者福祉の制度・政策について学び、同志社大学で修士論文を出しました。「専門性の脱構築」というタイトルで、なんか難しそうに感じられると思いますが、障害のある人たちが暮らしていく上で、専門家と呼ばれる人たちが出しゃばりすぎなんじゃないか、といった話を書いています。これに関係あることを、今日の最後の方に話します。
 その後、立命館大学の博士課程に移りました。ここでは、大学における障害をもつ学生の支援について、取り組むことになりました。今年2月に、その立命館大学から、『視覚障害学生支援技法』という本を出しました。今日これからお話しすることのいくらかはこの本にも書いたことですが、視覚障害を中心に、より詳しく書いてあります。よろしければ、ぜひ読んでみてください。
 今は放送大学の一部に統合されてしまいましたが、独立行政法人メディア教育開発センターという研究所が千葉県の幕張にありまして、そこの研究員も1年やっていました。大学で学ぶ障害者を支援するためにどういうメディアが必要になるか、情報技術のことを中心に取り組みました。

2.大学における障害者支援
(1)問題集
 このようにして、いろいろなところで、いろいろなことを学んできたわけですが、私のように目が見えにくい人たちが学ぶ上で、どういう問題があるでしょうか? 具体的に考えていきたいと思います。みなさんにもいろいろ書いていただきましたので、それをいくつか紹介しながら進めていきたいと思いますが、たとえば、黒板に書かれた文字が読めないですね。教科書やプリントも、読めないですよね。パワーポイントを使う授業が最近は増えていると思いますが、何が映っているかさっぱり分かりませんよね。そういうこともあり、私はパワーポイントはどうしても使わなきゃいけない時を除いては、使わないことにしています。板書もほとんどしません。自分が見えないのに、「これ」とか指さして説明できないですからね。しかしその分、口で説明することに力を入れていますし、その方がよいだろうと思っています。
 教室にどうやってたどり着くのでしょう? 教室のナンバーは見えないですよね。時間割表も見えないわけで、本当に困ってしまいます。でもこれ、私が大学に入った時に体験したことなのです。大学に進学するまでは盲学校といって視覚障害者だけが学んでいる学校にいましたから、見えないことを前提にして授業が進められていました。しかし大学は、見えていることを前提に、すべてができてしまっていますね。入学早々に配られるシラバスや時間割、履修要綱、こんなのを全部読んで、自分で履修したいクラスを選んで登録して、そして教室に自分で行って授業を受ける。教科書も自分で買いに行って、教室に持ち込んで授業を受ける。「来週ここまでやります」と先生にいわれたら、そこを読んでいく。まあ、きっちり予習してくる学生は少ないでしょうし、私もそんな真面目な学生ではなかったのですが、それでも、読みたいという人は当然いますよね。でも、視覚障害者にはそれができないんです。これって、おかしいと思いませんか?
 他の障害について考えてみましょう。聴覚に障害のある人の場合はどうでしょう? 授業が聞けないんですね。教科書や資料や黒板やパワーポイントの画面が見えても、喋っている内容が分からないと、「この先生はいったい何話してんだ?」ということになるでしょう。
 肢体不自由の学生だったらどうでしょう? スロープやエレベーターがなくて、階段しかないような建物も、今でもたくさんありますが、2階や3階の教室で授業がある場合、そこに行けないんですね。いくら本人にやる気があっても、授業に出席できないわけです。上肢障害の学生なら、授業中にノートが取れないといったことも問題になってくるでしょう。障害者用のトイレが用意されていない大学もあります。そうすると、休み時間にトイレに行けないとか、行こうと思うと遠くの建物までわざわざ移動しなきゃいけないとか、たいへん面倒なことがあります。
 いろいろと話してきましたが、これはほんの一例に過ぎません。しかし、こんなことでさえ、ほとんど知られていないのではないでしょうか? 学生という立場ではみなさんも同じですが、こんなことを考えたことがあったでしょうか? もしみなさんが今話したような不便なことを毎日体験しなきゃいけないとしたら、どうでしょう?
 過去の私もそうでしたが、障害のある学生たちは、こんなたいへんな思いをしてでも、大学で勉強したいと思って進学してくるんですね。そうすると、えらいねぇなんていわれます。障害があるのによく頑張ってるなって。ほめられると嬉しいこともありますが、がんばって勉強していることをほめられるならともかく、障害があるのにがんばってるというところをほめられると、私は複雑な気持ちになってしまいます。どうして私たちは特別にがんばらなきゃいけないんだろう? そもそも、私たちは、他の学生たちと比べて何か特別なんだろうか? 大学で何かを学びたい、あるいは友達を作って楽しい時間を過ごしたい等々、大学に進学する理由は人それぞれであろうと思いますが、障害者でも障害者でなくても、違わないんじゃないでしょうか? もしもそこに違いがあるとするなら、それはなぜなんでしょう?

(2)解答へのヒント
 私たちはよく「障害」は個人の側にあると考えてしまいがちです。本やプリントが読めないのは私の目が悪いからだ、とか、授業が聞こえないのは誰それさんの耳が聞こえていないからだ、とか、教室に来ることができないのは誰それさんが車椅子を使っているからだ、とかですね。みなさんもこういうふうに理由を説明することが多いんじゃないかなと思いますが、どうでしょう?
 もちろん、これが間違いというわけではありません。一つの答えといえるでしょう。しかし、これが唯一の答えではないんですね。そのことを、今からすこし話します。
 私は声が大きいですし、このぐらいの教室なら十分このままの声で届きますから、マイクなんか使いませんけれど、これが数百人規模の大教室だったら、さすがの私もマイクを使います。当たり前のように思うでしょうね。でも、ここでその理由を考えてみてください。そうすると、後ろの方に座っている人にも聞こえるようにマイクを使うんだということになるだろうと思います。私が大きい声を出していたらしんどいからだという理由もあり得るでしょうが、それなら私が今と同じような声で話しても、前の方にいる人には聞こえるでしょう。後ろに座るのは本人が悪いんだから知りません、なんてね。でも、実際にはそんなことはしない。みんなに聞こえやすいようにしないといけないですからね。前の方にいる人だけをひいきして、後ろの方にいる人を差別してはいけません。みんな平等に授業を伝えないといけない。ここまで、よろしいですね?
 では、その教室に耳の聞こえない学生がいたとしましょう。私はマイクを使うだけで十分なんでしょうか? 先ほど、みんなを平等にするためにマイクを使うんだといいました。でも、それだけでは聞こえていない学生にとっては平等じゃないですよね。マイクを使おうが、授業が聞こえないわけですから。
 「配慮の平等」という考え方があります。私が考えたものではなくて、静岡県立大学の石川先生という人が考えられたもので、ちなみにこの先生も視覚障害者なのですが、それによると、私たちはとくに配慮が必要でない人たちと特別な配慮のいる人たちがいるというふうに考えがちだけれども、そうじゃなくて、すでに配慮されている人たちと未だに配慮されていない人たちがいるということなんじゃないかということです。先ほどの大教室でのマイクの例で言うなら、マイクを使うことは当たり前なんじゃなくて、それ自体が後ろの方にいる人たちも含めたみなさんに平等に伝えるための配慮である、と。しかし、そうした配慮を行う一方で耳の聞こえない人のことは無視して、何もしない。聞こえている人には配慮するのに、聞こえていない人には配慮しないというのは、みんなを平等に扱っていないじゃないか。これって差別じゃないか、ということです。いかがでしょう?
 階段しかないような建物がたくさんあります。どうしてでしょう? 2階以上があるのに階段のない建物なんてないですよね。当たり前だと思っているかも知れないけれど、階段って、二本足で歩ける人たちが使いやすいように設計されているんですね。つまりその建物を造る段階で、自分の足で歩ける人には使いやすいように配慮しておいて、そうじゃない人への配慮はしていない。だから、スロープやエレベーターがないんですね。建物を建てる段階で、障害者を差別してるってことじゃないかな?
 差別というと、「お前、障害者だからあっち行け」みたいな、露骨なものを想像するかも知れませんが、そんなのが悪いことだってことは、おそらく多くの人が分かっていると思います。だから差別はなくなったなんて思っている人もいるでしょう。しかし、そう単純なもんじゃないんです。悪気がなくても、知らず知らずのうちに障害者のことを差別してしまっていることがある。少なくとも、相手がそう考えることがあるんだ、ということです。
 本についてもそうです。みなさんはおそらく読みたい本があったら書店に行って購入することができるでしょう。図書館に行けば借りられるでしょう。しかし、私たちはそれができません。買うことそれ自体はできたとしても、そこで手にした本は「インクの臭いのしみこんだ紙のかたまり」でしかありません。ありがたいことが書いてあるのか、くだらない本なのか、読んでみないことには分かりません。本というのは、書いた人から読む人へのメッセージを伝える手段ということになるでしょう。書いている人が本を出すけれども、たとえば録音図書やテキストデータを用意しないというなら、視覚障害者への配慮を怠っているということになるのではないでしょうか。録音図書というのはこんな感じで聞くことができますが(実演)、これは最初に紹介した私の本が入っています。視覚障害のある人に読んでもらうためには印刷した本だけでは不十分です。だからこそ、私は録音図書を用意しました。これは何か特別なことをしているわけではなく、みんなに読んでもらうための当たり前のことだと思います。いかがでしょう?
 障害は個人の側にあるというのは、一つの考え方だけれども、これだけではないということを申しました。今までいくつかの例を挙げて考えてきたように、障害は個人の側にあるのではなく、むしろ社会や環境との関係においてつくられるものであるという考え方があります。障害の社会モデルという考え方ですが、視覚障害者が本を読めないのは、本人の目が見えないからではなく、本が印刷されているだけだから、録音図書がないからだ、と。聴覚障害のある学生が授業を聞けないのは、本人の耳が聞こえていないからではなくて、手話通訳がいないからなんだ、と。車椅子を使っている学生が教室に来れないのは、この学生の足が動かないからなのではなくて建物にエレベーターがないからなんだ、と。いずれも間違いじゃないですよね? そして、問題の原因を障害のある本人に押しつけるのではなく、環境の問題とする。そうすると、障害者にがんばってその障害を克服しましょうということにはならなくて、環境を変えていきましょう、と。そもそも、障害者に障害を克服しろって言うけれども、そんな簡単に克服できるもんだったら、それは「障害」とはいいません。障害者基本法の定義をどこかで習われたかと思いますが、「相当な制限を受ける者」と書いてあります。そしてその制限の多くは、環境や社会によって作り出されたものによるのです。
 このことを、しっかり頭の中に入れておいていただきたいと思います。

(3)解答集
 では、実際に大学で行われている障害者支援について、具体的にいくつか紹介していきましょう。
 視覚障害者の支援としては、教科書や授業で配布されるプリントの点訳、録音、テキストデータ化、学内での移動の介助などがあります。録音というのは、先ほど録音図書を聞いていただきましたが、支援者が本を読んでテープなどに録音し、それを視覚障害者に渡すというやり方です。そうすると視覚障害者は家でゆっくり聴くことができます。これが視覚障害者にとっては読書なんですね。あるいは対面朗読といって、支援者が視覚障害者の目の前で本を読むというやり方もあります。私は学生時代にこういうサポートをしてもらっていました。大学院生にもなると、後輩の学部生が読んでくれるんですが、対面朗読のついでになぜか卒論の面倒を見てくれといわれたりして、その代わりしっかり本を読んでくれよとお願いして、あれはあれでよい経験になりましたね。テキストデータ化というのは、パソコンの画面を読み上げるソフトがあるのですが、それを利用して、本の内容をテキストデータにしてパソコンに読んでもらおうというものです。私の本も、全文のテキストデータを提供しています。パソコンを使っている視覚障害者なら、読み上げソフトを使うことで、本の内容を知ることができます。
 聴覚障害者への支援としては、手話通訳があります。授業で教員が話したことを手話で伝えるということですね。ただ、手話は非常に専門的ですし、手話を使っていない聴覚障害者もたくさんいます。そこで大学で多く行われているのがノートテイクというものです。聴覚障害のある学生の両脇に聞こえている学生が座って、授業中に教員が話したことをノートに書き留めていきます。単なるノート取りではなくて、話したことをそのまま書いていくわけです。ひとりでやると腕を痛めてしまいますから、二人以上がペアになってやることになっています。また最近では、パソコンでこの作業を行うことも増えてきました。パソコン要約筆記などと呼ばれていますが、ノートテイクと同じで、教員が話したことをパソコンに入力していって、聴覚障害のある学生がそれを見ることによって内容を知るというものです。ただ、要約というだけあって、やはり喋った内容を全部書き留めることはできませんから、完璧とはいえないのですが、こういった支援があることで、授業を受ける上での助けになっていることは間違いありません。
 肢体不自由の場合は、学内での移動の介助やトイレ介助、教室でのノート取りなどが必要になってきます。このノート取りは聴覚障害者への支援として行われるノートテイクと違って、みなさんがノートを取るのと同じようにメモをするということになります。手が不自由で字が書けないという場合に、代わりに書くということですね。
 こういった支援を受けながら、障害のある学生たちは大学で学んでいます。障害のある学生たちが大学で学ぶことは何も特別なこと、珍しいことではないんだということを先ほども申しましたが、実際には、今申し上げたような支援がどこの大学でも、当たり前に受けられるかというと、そうはなっていません。予算がないからと受け入れを拒否したり、支援を申し出ても断られることも珍しくないのです。支援があってはじめて、障害のない人たちと平等に大学で学ぶことができるというのに、それを平気で断ってくるというのは、とんでもないことだと思います。こういう感覚を、一人でも多くの人にもっていてもらいたいと思っています。
 大学に限ったことではありませんが、「自立」を求められることがあります。大学でも、障害学生支援の現場でも、障害のある学生の自立ということが一つのテーマのようになっています。もちろん大学はさまざまな知識と技術を身につけ、一人前の社会人として卒業生を社会に送り出す責任があるという点では、学生に対して自立を求めることはおかしなことではないと思います。しかし、それは教育の中でおこなわれることであって、教育を受けるための支援を必要としている人たちに向けて「自立」をいうのは間違っていると思います。障害は社会や環境によってつくられるのだということを申しましたが、障害者に対して「自立」を求めるということは、障害を個人の問題として本人に押しつけて、その学生に不自由な思いをさせ、不便を強いている大学や社会の問題から目を背けさせるということになるのではないでしょうか? 変わるべきは本人ではなく、障害者を排除している大学や社会の方です。そして、見えない学生がいくらがんばっても見えるようにはなりませんが、見えない学生にとって学びやすい環境をつくることは、やろうと思えばできることです。車椅子を使っている学生が不自由なく利用できるキャンパスをつくることも、不可能ではありません。今までそうしておくべきだったのに、できていなかったのです。これこそ、大学や社会の怠慢と言わずして、なんでありましょう?
 障害者が経験している、いや、経験させられている不自由さ・不便さは、本人のせいではなく、社会や環境によってつくられたものなのです。だからこそ、変わるべきは社会や環境なんだ、ということを、ぜひ今日は理解して帰ってください。こういう視点をもつことは、将来さまざまな形で障害者というか、何かに不便を強いられている人たちと接する上でとても大切なことだと思います。

〜休憩〜

3.障害学生の生活技術
 これまで、大学での障害学生支援にどういうものがあるのか、そしてそれがなぜ必要なのかについて述べてきました。今日お話しすべきことの多くは終わりましたが、他に伝えておきたいことをいくつか話しておきたいと思います。
 「障害学生の生活技術」という演題を掲げましたが、障害学生の生活というと、何も大学の中だけの問題ではありません。大学の授業だけが問題なく受けられるならそれでよい、とはならないわけです。障害学生が、というか、この世代の、つまりみなさんと同世代の障害者が直面することになる問題をいくつか取り上げておきたいと思います。
 みなさんの中には、親元を離れて一人暮らしをされている方もいらっしゃると思います。大学生になって一人暮らしをはじめるという人は多いのですが、障害者にとってはここに大きな壁があります。視覚障害があるというだけで家を貸してもらえない、車椅子で利用できる物件がない、など、家探しは本当にたいへんです。私も学生時代に一人暮らしをはじめましたが、視覚障害の先輩が住んでいたことのあるマンションを選びました。2軒目は今の家ですが、不動産屋の自社物件から選びました。ちょうど管理会社の事務所が1階にあって、その2階に住んでいるので、何かの時にたいへん便利なのですが、自社物件ということで大家さんとのやりとりもなく、契約も問題なく行えました。私がすこし見えているからということも、原因としてあるのかも知れませんが。視覚障害のある友人の中には、差別的な事を言われた経験のある人もたくさんいます。「住んでもらってもいいですが、火を使わないでください」等です。視覚障害者は炎が見えないから火事でも起こすのではないかと思われているようですが、視覚障害者が火事を起こしやすいなどという統計はありませんし、見えていなくても、火が出ているかどうかぐらいは分かります。「火を使わないでください」といわれて、「えっ、未だに電化キッチンじゃないんですか?」と言い返したという人もいましたが。
 学生の一人暮らしであっても、ホームヘルプ等の福祉サービスを利用することができます。全身性障害の学生の中にはホームヘルパーに来てもらって掃除や洗濯、入浴介助などのサービスを受けて生活してる人もいます。家事を手伝ってもらうなんて「自立」じゃないじゃないか、なんて事を言う人もいますが、自分のやりたいことを自分で選び、必要な介助をしてもらうというのも、立派な自立です。もしもそうじゃないというなら、その方は自給自足の生活でもしているのでしょうか? 自分でできないことは人にやってもらうというのは、誰もが当たり前に毎日やっていることです。それを障害者がすると、どうして問題になるのでしょう? さっきの話しを思い出してくださいね。
 また、通学の問題があります。視覚障害や肢体不自由の学生の場合、通学に介助が必要なことがありますが、現在の福祉制度の中にあるガイドヘルプは、通勤や通学には使えないことになっています。すると、ひとりで通学できない人は学校に行けないということになり、たとえば、在学中の事故や病気で目が見えなくなった学生が志半ばで大学を退学するということもあります。大学では学内での移動はサポートしてくれますが、ほとんどの場合、通学の介助まではやってくれません。車椅子利用の学生の場合は自分で車を運転できる人もいますが、視覚障害者の場合は、公共交通機関を利用することになります。電車は安全でしょうか? 駅のホームから視覚障害者が転落するという事故が後を絶ちません。ホームを歩いているときに走っている電車に接触して引きずられて大けがをすることもあります。駅のホームに安全柵があれば、こうした事故は起こらないのですが、なかなか柵の設置は進みません。東京では進んでいますが、西日本ではまだまだです。私は学生時代から、視覚障害者の駅ホームの安全について活動している団体にも関わり、今でも役員をしています。関西で視覚障害者の事故が起こると、現場検証に行くことになりますが、毎年のように出かけています。いつになったらこうした犠牲がなくなるのかと、いつも気持ちが落ち込みます。
 せっかくなので、すこし考えてみてください。視覚障害者が駅のホームから線路上に転落し、入ってきた電車にはねられて死亡するという事故が起こったとしましょう。柵があれば防げた事故であることはいうまでもありませんが、柵がなかったとして、それでも防ぐ方法はあると思うのです。もしもこの事故が駅員も他の乗客も誰もいないような駅で起きたのであれば、ある意味で納得もできるのですが、たいていの場合はそうではありません。少なくとも、私が現場検証をやった駅は他のお客さんもたくさん利用している駅でした。どうして、誰も声をかけてくれなかったんだろう、というのが私の疑問なんです。もしも誰かが、「危ない」と声をかけてくれていたら、強引に腕を掴んで引っ張ってくれたら、落ちなくて済んだと思います。違うでしょうか? でも、実際には誰も声をかけてくれなかったのです。この話を大学でしたところ、学生たちから「私も駅のホームで白杖をもった人を見たことがあります」と何人かの学生にいわれました。それで私は「声をかけたのか?」と聞きました。すると「いいえ」と。どうしてか尋ねたところ、概ね二つの原因があるようですが、一つは声をかけるのが恥ずかしかったというものです。そして最も多かったのが、「誰かがやるだろうと思った」というやつです。しかし、そこにいるみんながみんな、「誰かがやるだろう」と思っていたら、どうなるでしょう?
 私が駅のホームで立っていても、声をかけてくれる人はほとんどいません。危なっかしくなければ別によいのですが、視覚障害者はこちらから人を探して声をかけるというのが難しいのです。信号待ちをしていて、信号が赤から青に変わって、みんなが渡りはじめますが、私だけがボーッと突っ立っています。珍しいことではありません。音声が着いていない信号機もたくさんあります。一緒に信号待ちをしている人が、「青になりましたよ」といってくれたら、安心して渡れるのに、誰も声をかけてくれない。これも「誰かがやるだろう」ということなのかも知れません。
 「誰かがやるだろう」という人が百人いても、誰も助けてくれません。その「誰か」が一人でもいてくれるだけで、私たちは安心して電車に乗り、信号を渡ることができるのです。ですから私は、障害者福祉や視覚障害者介護の講義を受けてくれている学生たちには、「その誰かになってください」といつもお願いしています。「大丈夫ですか?」「何かお手伝いすることはありますか?」と声をかけてください。「信号が青になりましたよ」だけでも助かりますが、もし同じ方向に渡るのであれば、腕をもたせていただくと安心して渡ることができます。電車を降りたとき、一緒に改札に向かうのであれば、腕をもたせてもらえると安心して、安全に歩くことができます。今日はせっかく視覚障害者のことについてお話しできる機会をいただきましたので、そしておそらく、視覚障害者のことを知る機会はあまりないと思いますので、このことを話させていただきました。
 みなさんの場合、専門職として資格を取られて卒業されるのだと思いますが、障害のある学生たちにとって、卒業後の進路は深刻な問題です。大学や大学院を出ても、障害があるというだけで民間企業への就職は極めて難しいという現状があります。大学ではなんとか支援を受けながら勉強することができたのに、就職のことで落ち込んでしまい、そこで初めて自分の障害をネガティブに考えてしまうということもあるでしょう。冒頭に、私は大学卒業が近づくと司法試験の勉強をはじめたとか、大学院進学を選択したとか申しましたが、私はある意味で、民間企業への就職を考えることそれ自体から逃げていたのかも知れません。就職しようとすることで、自分の障害をマイナスのものとして捉えなければならない、「視覚障害はありますが…○○できます」なんて言い方をしないといけない。そのこと自体が自分にとっては苦痛であり、うっとうしいことでもあるわけです。障害者の中には、自分の障害をつらい、しんどい、うっとうしいと考えている人は珍しくありません。しかし、どうしてそうなっているのでしょうか? 環境や社会によってつくられた不便さ・不自由さのせいで、自分に障害があることをマイナスのものと考えさせられているのではないか、さらに、私はいずれも経験したことはないのですが、障害があることを理由に就職差別を受けたり、「うちの子を障害者とは結婚させたくない」といった差別を受けたりして(こういうことは今でもいくらでもありますが)、障害者がまるで半人前であるかのような考え方に自分自身も丸め込まれてしまった結果として、自分の障害が嫌になってしまう、うっとうしいと思ってしまうということもあるわけです。
 このあたりのことを分かりやすく書いたものを二つ入れておきました。これは視覚障害のある子供を支援している団体の会報に載せるために書いた原稿ですので、なるべく分かりやすく、かつ、やや刺激的に書いてみたつもりです。しかし、私があれこれ申し上げるまでもなく、このあたりのことは「障害受容」というテーマの研究の中でもいわれていることですし、田島先生はその「障害受容」研究ではたいへん著名な方ですから、詳しいことは先生に教えていただいた方がよいように思います。
 いずれにせよ、障害のある学生たちの支援を考えるときに、大学の中のことだけを考えていては十分ではなく、学外での生活や就職のことも含めて、いろいろな問題があるんだということを知っていただきたいし、ちょうどみなさんと同じような状況にあると思いますので、そこにある問題のいくつかにはみなさん自身が共感できるところもあるのではないかと考え、話をさせていただいた次第です。

4.みなさんに伝えたいこと
 今日はせっかくみなさんとこうして出会えたわけですが、場合によっては「一期一会」になってしまうかも知れません。そこで、最後に私が話しておきたいことを話してしまおうと思います。私は考えることが好きです。話すこと、書くことも好きですが、そのいずれも、考えることを抜きにしてはできません。読むことは苦手ですが、考えることは視力のことは関係ありませんから、好きになってしまったのかも知れませんが、どうなのかは自分でも分かりません。

●「得手に帆を上げて」生きていける社会/そのための支援
 「得手に帆を上げて」という言葉がありますが、私はこういう生き方をしたいと思っています。たぶんこれが誰にとっても理想なのではないだろうかと思います。自分のやりたいこと、やっていて楽しい・充実していると思えることをやりながら生きていく。もちろん、好きなことばかりしていてよいということではなくて、それなりにしんどいこともあると思いますが、しかしそのしんどさも、何かを達成できたときには喜びに変わることもあるでしょう。そういう体験を、これまで一度や二度はされたことはあると思います。
 私自身もそうですが、障害がある人は苦手なこと、できないことが多いことは事実であろうと思います。そして、そのできないところだけが注目され、クローズアップされているように思います。できない何かをがんばって乗り越えることを周りから期待されることもあります。先ほど話した就労の問題もそうですが、見えないなら見えるように努力しよう、見えるようにならないなら、何か他の手段で文字を読めるように努力しよう、なんてことをいわれ、そのための訓練があるわけですが、私はすごく違和感をもっています。どうしてできないことをがんばらなきゃいけないのか、と。それよりもやりたいことはなんなのか、得意なことはなんなのか、そういう視点で考え直してみるとよいと思います。
 私のところに相談にやってくる障害者が「自分は○○ができなくて…」なんてことをいいます。そんな時、私は「そんなん、健常者でもできることでしょ? だったら、健常者にしてもらったら」というのです。なんか変だなと思われるかも知れませんが、健常者と呼ばれる人はたくさんいます。障害者よりはるかに多いわけです。そんな人ができることは別に珍しくも何ともないし、それができないんだったら、やってくれる人はたくさんいる。それよりも、そんな人たちにできないこと、あるいはできるけれども自分がやった方がよいようなことを探してみようじゃないか、ということですね。
 そうすると、私の場合は先ほど申し上げたように、考えること、話すこと、書くこと等が当てはまります。上手かどうかはよく分かりませんが、好きではあります。それで生きていけるのであれば、問題ないのではないかと思っているのです。誰かに迷惑かけていますでしょうか? たぶん私が普段からやっている講義も、あるいは今日のこの講演も、私だからこそできることだろうと思っています。ヘルパースクールの集中講義など、朝から晩まで喋り続けなきゃいけないという、ちょっとしんどいなと思うこともありますが、やりがいを感じています。今もそうです。ここでみなさんにいろいろなことを伝えることができたことは、とても嬉しいです。私の話を聞いていただくことで、みなさんが何かを感じ取っていただけるなら、あるいは将来に向けて何か一つでも有益なことがあったのであれば、それは私の喜びでもあります。
 私は、自分の障害をマイナスに捉えてしんどい思いをしている障害のある人たちにも、ぜひ今の私のような気持ちを味わってほしいと思っています。人それぞれ、やりたいことは違うと思いますが、それは当たり前のことです。障害者だからといって、障害者のために何かすることを生きがいと感じている人ばかりなわけがありません。それでよいのです。その人が得意なこと、やりたいことをやっていくための支援はどうあるべきなのか、みなさんにも今後ぜひ考えていってほしいと思っています。きつい言い方かも知れませんが、援助対象となる人たちは援助者が思い描いた理想的な援助を実現するために生きているのではありません。その人その人に個別の人生があり、経験があり、楽しみがあります。当たり前のことですが、このあたりを見落として援助が行われているのではないかと感じることが多いです。
 障害者はその「障害」を「障害」として生きている限り障害者であり続ける、ということを、私は最近よく口にしています。この意味は、今日の話を聞いていただいたみなさんには、もうお分かりいただけると思います。このことを、理解し、記憶にとどめておいていただきたいと思っています。

●「目的」と「目標」
 「目的」と「目標」を混同して使われる方もおられますが、これらはまったく別物です。「目的」というものが何かあって、それを達成するための道しるべが「目標」です。大学に合格すること、国家試験を突破して資格を取ること、これらはすべて「目標」ではあっても「目的」ではないと私は考えています。もしもこれらのいずれかが「目的」となってしまえば、それが達成できたときに「目的」を喪失してしまうことになります。「目的」を喪失してしまうと、非常につまらない毎日になってしまいます。
 私にとって、今すぐに思い浮かぶ「目的」は、障害者が「得手に帆を上げて」生きていけるような社会をつくっていくことです。あまりに漠然としているし、理想的すぎるかも知れませんね。しかし、そのためには何が必要なのか、逆算して考えていきます。そうすると「目標」が生まれます。「目標」の手前に、また別の「目標」ができることもあります。そんなもんです。
 大学で講義をしたり、ヘルパースクールの講義をしたり、あるいはどこかに何かを書いたりする個々の作業は、「目的」を達成するための「目標」です。私の考え方を知ってもらい、賛同してくれる人を増やすこと、あるいは、私の考えていることに欠点があるならそれを指摘してもらうことで自分の中にある問題を修正していくこともできます。話したりかいたりする作業は、そうしたきっかけになるわけです。
 私はいちいちこんな作業はしませんが、「目的」から逆算して、今日一日の「目標」を立てることも可能です。みなさんには国家試験合格という大きな「目標」があると思いますが、そうするとそのために何が必要なのか、私見前日には何をしているのか、その前の日は、一月前の日は、一年前は…といった感じで、そうすると、無駄にしてもよい日なんてないと思います。誤解しないでいただきたいのですが、これはけっして肩肘張ってガリ勉をしろと言っているのではありません。ただ、何をしていいか分からないなら、こういうふうに考えることもできますよ、ということです。私は今回の講演の話をいただいたのが約2ヶ月前ですが、その日から、今日の準備が始まっていました。暇を見つけては構想を練り、どういう話をどういう順序でしていこうかと自分の中でいろいろと考えをめぐらせていました。そして、ちょうど10日ほど前に、この講演の原稿を書きましたが、こうした下準備があったので、スラスラ筆が進みました。ずっとこの講演の準備ばかりしていたわけではなく、普段に仕事もいつも通りやっていましたが、細切れの時間に下準備をしていると、ずいぶんと違ってきます。また、一日中ボーッとする日があってもよいと思います。安息日というか、そういう日、そういう時間も必要になってきます。これは誰に対してもいえることです。綺麗な音楽を聴くこと、美味しいものを食べること、美しい景色を眺めること…そうした時間をもつことで、心の中に余裕が生まれると思います。余裕が生まれると焦りは消えていきます。

●迷うこと
 余裕をもって生きよと申し上げたところで、『論語』の話をしたいと思います。高校で漢文を学ばれた際、教科書に引用されていたかも知れませんが、以下のような一節があります。

  子曰、
  吾十有五而志于学、
  三十而立、
  四十而不惑、
  五十而知天命、
  六十而耳順、
  七十而従心所欲、不踰矩。

 孔子先生はおっしゃった。私は15歳で学問の道に志し、30歳で独り立ちした。40歳で戸惑うことがなくなり、50歳で天命を悟った。60歳でどんな批判にも耳を傾けられるようになり、70歳で自分の心の赴くままに行動したとしても羽目を外すようなことはなくなった。
 細かな違いはあったとしても、概ねこれがよく言われる解釈だろうと思います。しかし、だから30になったら自立しなさい、40になったら迷っていてはいけない…という解釈は私は違うと思っています。
 孔子は〈ただの人〉ではなく、凡人でもなく、長い時を経てもなお、語り継がれる偉人であり、また、君子であります。その孔子が、こんなことを言っている。たとえば、「四十而不惑」を例に取るなら、そんな孔子先生ですら、四十で惑わなくなった=それまでは惑う事があった、であるから、(四十に満たない)諸君等は大いに惑う事があっても構わない、ということになるのではないか。これが私の解釈であり、念のため、このあたりを専門にされている先生にもうかがってみたのですが、この解釈でよいだろうとのことでした。
 私ですら、このさきいかにしていこうかと迷うことはたくさんあります。私がみなさんぐらいのころといえば、最初に申し上げた法律の勉強をはじめようとするよりも前のことですから、そのころ何を考えていたのか、何を勉強していたのか、まったく思い出せないぐらいです。今でも、この道で独り立ちできているのかどうかも怪しいです。若くして、早いうちに目標を定めて、それを達成するために一生懸命になることは、それはそれでよいことだと思うのですが、時にそれに対する迷いが生じたなら、それはそれで大いに迷えばよいと思います。自分は目が見えなくてこの先どうしていったらいいものやら…といった相談を受けたとき、私はいろいろな選択肢を示してみたのですが、すごく先を焦っているようだった。「もう、年も年ですし…」というので、いくつなのかと尋ねてみた26歳だという。とてもこんなことを言う歳ではないし、自分より若い人には言われたくないのだけれど、同年代の周りの人たちと比べてみて本人は非常に焦っていた。勝手に焦っているだけなのか、それとも誰かに何か言われて焦らされているのかまでは分からないけれど、ゆっくり、じっくり考えたらよいことだと思うわけです。そういうこともあって、私は先ほど申し上げたような解釈をしてみたわけですが、いかがでしょう?

●物事を為すために必要なDNA
 焦らずゆっくりと、ということは申し上げましたが、何か物事を為すときに知っておいた方が良い心構えのようなものを話しておきたいと思います。
 これは私のオリジナルではないのですが、DNAというのがありまして、
  D…できるところから
  N…納得のいく方法で
  A…遊び心を忘れない
の頭文字を取ったものです。「目標」を立てる際にも参考にできると思いますが、DNの二つは言われなくてもみなさん分かっていることだと思うのですが、とくに三つ目のAが大事だと思います。やっていて、楽しくないといけないんじゃないか、ということです。
 ちょっと自慢話のように聞こえるかも知れませんが、私の勤務先である羽衣国際大学では、今年の学園祭で点字カラオケの模擬店を出すべく、準備を始めています。私の講義で、視覚障害者はカラオケに行っても画面に出る歌詞が読めないという話をしました。そして、点字ディスプレイをつなぐことで画面に出ているのと同じ歌詞を点字で映し出すという機械が最近できているんだということを紹介したのですが、そしたら学生たちは興味を示して、ぜひ見てみたいと。ちょうどそのころ、学園祭の模擬店の募集が行われていたので、私のひらめきで「学園祭の模擬店に点字カラオケなんておもしろいんじゃない?」と学生たちに投げかけました。そしたら、早速乗ってきてくれた学生がいて、その人を中心に話を進めることになりました。業者との連絡は最初だけ私がお手伝いすることになりますが、あとは学生主体に活躍してほしいと思っていますし、そのために必要なサポートはしていきたいと思っています。
 点字のことやバリアフリーのことを講義で教えることも大切ですが、こうした機会を捉えて学生たちに主体的に動いてもらい、視覚障害者支援を考えるきっかけにする。これがまさに私のねらいでありますが、真面目な講義というイメージではないですよね。私の遊び心が満載ですが、学生たちだけでなく私も楽しんで企画を進めているところです。
 現場でもそうですが、利用者も援助者もともに楽しめるようになることが理想だと思います。利用者にとって苦痛であることは論外としても、利用者だけが楽しくて援助者が苦痛だというのは、いくらそれを仕事と割り切ったとしても、あまりよろしくはないでしょう。だいたい、やっている側が長続きしないように思います。老人ホームのレクレーションを想像してみてください。全部が全部とは言いませんが、おもしろくないのが多いです。職員も利用者も、根っから楽しんでいるとはとても思えないことを平気でやっています。職員に聞いてみると、やらなきゃいけないからやっているだけだ、なんて事を言われることがありますが、工夫の余地はあると思っています。介護で忙しくてレクレーションのことなんて考えてられないということを聞いたことあります。だったら、自分たちで企画しなきゃいけないと思っていることそれ自体が問題なんだろうと私は思うわけです。そういうのをやりたい人にお願いすればよいのではないか。私はこのあたりも、自分の商売の一つに組み入れていきたいと思っています。

●「つらさ」を「しあわせ」にする公式?
 最後に、子供だましのような話をして締めたいと思います。
 すでに申し上げたように、障害のある人たちはさまざまな「つらさ」を抱えて生きていることが多いです。もちろん、障害のはい人たちも、あるいはみなさんでさえも、そうであるかも知れません。「辛」という字を見てください。これに「一」を書き足してみると、「幸」という字になります。ただそれだけのことかといわれてしまえば、それまでですが、しかし、そう簡単に笑って片付けられるような揉んでもないと思います。
 すでにいろいろとお話をしてきましたが、障害を抱えながら生きることがつらいと思っている人にとって、そうではないという考え方があることを示すことで、そのつらさが軽減されることがあるかも知れません。誰かの一言、何か一つの出来事、あるいは、誰か一人の人との出会いが、「辛」を「幸」にかえるきっかけになるかも知れません。
 みなさんは将来、つらさを抱えた多くの人たちと現場で出会われることになるだろうと思います。そんな折に、「辛」を「幸」に変えるきっかけを提供できるような、そんな援助者になることは、そういう援助ができるということは、援助者としてたいへん誇らしいことなのではないかと私は思います。
 ぜひとも、みなさんにはそんな援助者になっていただきたいと思っています。今日のお話が、そんなみなさんのお役に立てるのであれば、私の最大の喜びであります。
 すばらしい援助者になられるためにも、大学や実習先で今後益々の研鑽を積まれ、学問に精進されますことを、切に期待いたしまして、私の講演を終わらせていただきたいと思います。皆様、本日はお招きいただき、また、長い時間ご静聴いただき、ありがとうございました。

  (了)


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■講演で言及したor参考になりそうな本・論文・原稿

●「障害受容」について
・田島 明子 20090625 『障害受容再考――「障害受容」から「障害との自由」へ』,三輪書店,212p. ISBN-10: 4895903389 ISBN-13: 978-4895903387 1890 ※
 http://www.arsvi.com/b2000/0906ta.htm
・青木 慎太朗 20081110 「6◆なぜ障害受容は中途障害に限定されるのか?(特集:障害は“受容”できるか?)」 『リハビリナース』1-6:40-44 ※
 http://challenged.sakura.ne.jp/aoki/genko/20081110.html

●「配慮の平等」について
・石川 准 20040113 『見えないものと見えるもの――社交とアシストの障害学』,医学書院,270p. 2100
 http://www.arsvi.com/b2000/0401ij.htm

●「自立」・「ひとりでできること」について
・青木 慎太朗 20071201 「ひとりでできることの価値を問う――という視覚障害者の戦略的生存学」 『視覚障害リハビリテーション』66 日本ライトハウス、pp.5-18
 http://challenged.sakura.ne.jp/aoki/genko/20071201.html

●障害学生支援について
・青木 慎太朗 編 20090205 『視覚障害学生支援技法』,生存学研究センター報告6,182p. ISSN 1882-6539 ※
 http://www.arsvi.com/b2000/0902as.htm
・青木 慎太朗 20090401 「今、障害をもつ私たち自身が考えなくては、社会や環境は変わらない」『わんぱく通信』No.62
 http://challenged.sakura.ne.jp/aoki/genko/20090401.html
・青木 慎太朗 20090403 「(論壇)  高等教育と視覚障害者支援」『点字毎日』4月3日号
 http://challenged.sakura.ne.jp/aoki/genko/20090403.html


UP:20090623 REV:20090624, 25
講演会資料/発表レジュメ など